宮尾すすむさんが亡くなられたとのニュースがありました。享年77歳だそうで、ちょうど私の父と同世代だったんですね。
というのも、宮尾さんの有名な番組「ああ日本の社長」で1999年3月10日に、当時の社長である父、十文字健助を取り上げて放映して頂いたのでした。その20分ほどのビデオを久しぶりに見てみましたので今回はそれを紹介しますね。
始まりは孵卵場からです。今では鳥インフルエンザ等の防疫上の理由から、テレビのクルーも入れないわけですが、当時はこうしてシャワーを浴びて宮尾さんもカメラマンの方もディレクターも入って行きました。あ、これは私の背中です。
孵卵場について質問され、父はだいぶ緊張して対応しています。
孵卵器に卵を18日間入れて置いた後、生きていない卵を取り除き、発生器に移して3日間で孵化します。
昔は当社のインテグレーションの流れを見てもらうのに、孵卵場は生命の誕生ということで、積極的に見てもらっていたのですが、今は残念ながらビデオで観てもらうようにしています。
羽で選別をする方法の解説や、ワクチン摂取のこともたっぷり紹介していただきました。
孵卵場について質問され、父はだいぶ緊張して対応しています。
孵卵器に卵を18日間入れて置いた後、生きていない卵を取り除き、発生器に移して3日間で孵化します。
昔は当社のインテグレーションの流れを見てもらうのに、孵卵場は生命の誕生ということで、積極的に見てもらっていたのですが、今は残念ながらビデオで観てもらうようにしています。
羽で選別をする方法の解説や、ワクチン摂取のこともたっぷり紹介していただきました。
飼育農場についても、今では考えられませんがテレビクルーが行って撮影していただきました。
とうもろこし中心の飼料で育てられた菜彩鶏のPRもしっかり入っています。
そして十文字グループの工場として、岩手農協チキンフーズ株式会社 県央工場へ。撮影は2月の寒い日でした。宮尾さんも父も上着なしで写っております。父は冬は常に厚い肌着を着ていますから大丈夫でしたが‥。
たくさんの社員がスピーディーに働いていることに宮尾さんも驚いていました。
また、パートやアルバイトというのではなくて、全員が正社員という形になっていることを驚いているようでした。
県央工場には食品センターという加工場がありまして、そちらも案内。
宮尾さんには、ベルトフリーザーに入る前の、熱々の唐揚げをつまんで食べて臨場感を演出していただきました。
シナリオにはなかったのですが、突然私に宮尾さんが「どんなお父さんですか?」と振ってきました。私の答えは「くどいです」。ははは、分かってないな〜! 社長はくどくなきゃ仕事に成らないでしょ、と今は思います。
今は亡き、地元のハーブレストランMIMIの荒谷シェフが作ってくれた菜彩鶏のメニュー。一つ目は「菜彩鶏のトマト煮込み」 うーん、懐かしい。
この「ああ日本の社長」はテレビ朝日系の「モーニングショー」という番組のひとつのコーナーだったので、料理方法も紹介。
あの荒谷シェフの味を、誰か復活してくれませんかね?
もうこの「菜彩鶏のソテー香草風味」なんて何回食べたんだか。そうだ、家内が確かこれだけは教えてもらったはず。何とか作ってもらおう。
これは正確には新婚当時の写真ですね。
この取材当時は年間3800万羽という紹介になっておりました。それから10年経って2割増程度。
番組の後半は、社長の自宅訪問。私が大学生として東京に住んでいたときにやっと建った家なので、私には縁が殆ど無かった家です。
ベンツSL500、BMW735i、スバルアルシオーネと父の車が充実していた頃ですね。
母も出演。取材日までの家の中を整理整頓、掃除するのに大変だったはずです。
それまでこの番組を見ていたわけじゃないので知らなかったのですが、マスクメロンを冷蔵庫に用意しておくのが通例だと聞かされ、用意しました。
2人のなれそめ等を聞かされ、私も知らなかったので助かりました。
最後に抱負を聞かれ「日本一を目指す」 ということでエンディング。岩手山を背景にやりましょうと宮尾さんの提案だったような気がします。
とうもろこし中心の飼料で育てられた菜彩鶏のPRもしっかり入っています。
そして十文字グループの工場として、岩手農協チキンフーズ株式会社 県央工場へ。撮影は2月の寒い日でした。宮尾さんも父も上着なしで写っております。父は冬は常に厚い肌着を着ていますから大丈夫でしたが‥。
たくさんの社員がスピーディーに働いていることに宮尾さんも驚いていました。
また、パートやアルバイトというのではなくて、全員が正社員という形になっていることを驚いているようでした。
県央工場には食品センターという加工場がありまして、そちらも案内。
宮尾さんには、ベルトフリーザーに入る前の、熱々の唐揚げをつまんで食べて臨場感を演出していただきました。
シナリオにはなかったのですが、突然私に宮尾さんが「どんなお父さんですか?」と振ってきました。私の答えは「くどいです」。ははは、分かってないな〜! 社長はくどくなきゃ仕事に成らないでしょ、と今は思います。
今は亡き、地元のハーブレストランMIMIの荒谷シェフが作ってくれた菜彩鶏のメニュー。一つ目は「菜彩鶏のトマト煮込み」 うーん、懐かしい。
この「ああ日本の社長」はテレビ朝日系の「モーニングショー」という番組のひとつのコーナーだったので、料理方法も紹介。
あの荒谷シェフの味を、誰か復活してくれませんかね?
もうこの「菜彩鶏のソテー香草風味」なんて何回食べたんだか。そうだ、家内が確かこれだけは教えてもらったはず。何とか作ってもらおう。
実は父は料理は全然しない人です。そういう意味では人のことは言えないけど、父は関心さえ無い(笑)。ま、商品としてのフレッシュ鶏肉にはもちろんうるさくて、そのおかげで頑なに機会化を進めなかったのです。
これは正確には新婚当時の写真ですね。
この取材当時は年間3800万羽という紹介になっておりました。それから10年経って2割増程度。
番組の後半は、社長の自宅訪問。私が大学生として東京に住んでいたときにやっと建った家なので、私には縁が殆ど無かった家です。
ベンツSL500、BMW735i、スバルアルシオーネと父の車が充実していた頃ですね。
母も出演。取材日までの家の中を整理整頓、掃除するのに大変だったはずです。
それまでこの番組を見ていたわけじゃないので知らなかったのですが、マスクメロンを冷蔵庫に用意しておくのが通例だと聞かされ、用意しました。
2人のなれそめ等を聞かされ、私も知らなかったので助かりました。
最後に抱負を聞かれ「日本一を目指す」 ということでエンディング。岩手山を背景にやりましょうと宮尾さんの提案だったような気がします。
スタジオの締めは「よき環境は、よき人材を育て、よき事業を育てる」という宮尾さんのお言葉でした。
当社を取り上げていただいてしばらくしてこの看板番組は終了し、宮尾さんもあまりテレビに出なくなったので、引退されたのかなと思っておりましたが、お体のことで苦労されていたのですね。ご冥福をお祈りします。
当社を取り上げていただいてしばらくしてこの看板番組は終了し、宮尾さんもあまりテレビに出なくなったので、引退されたのかなと思っておりましたが、お体のことで苦労されていたのですね。ご冥福をお祈りします。