50周年記念感謝祭に併せて製作したスライドによるビデオ「十文字健助、創業の物語」ですが、このほど著作権の関係の整理がつき、YouTubeにアップしました。
私からあれこれ指示して社内で作ってもらったのですが、イメージしていたのを遥かに超える良い出来になっております。どうぞ御覧ください。
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半世紀のストーリーを価値に
昨年、社団法人日本食鳥協会がめでたく50周年を迎え、式典および懇親会が盛大に開催された。喜ばしいことである。
ちなみに当社も創業者である現会長、十文字健助が事業化に着手して以来50年を迎え、十文字の十にちなんで、10月10日日曜日に感謝祭を開催させていただいた。
本人から当日は「鶏を飼育してから数えると実は60年」と挨拶のスピーチがあったので、40年後に100周年を開催しようかと密かに考えているが、チキンのもつ高い栄養価のパワーで87歳まで生き永らえたいものである。
実はこの原稿を書いている11月21日、ドイツに滞在している。
チャンキー協会のミッションでEurotierの視察に来ているのだが、近くに来たついでに車好きが高じて、週末、フォルクスワーゲン、メルセデス、アウディ、BMW、ポルシェなどの博物館を見て回る機会に恵まれた。
1886年、ベンツ博士の1馬力に満たない内燃機関付きの最高時速16キロの乗り物からスタートした自動車業界。
ドイツでは人気に火がつかず、しばらくしてフランスでヒット。これまでにない商品を普及させるための初期の悪戦苦闘は数知れず。
やっと起動に乗っても第2次世界大戦や業績不振などをくぐり抜けて、それぞれのブランドが生き残っていることが改めてわかった。
ヨーロッパの自動車メーカーは小規模なブランドのストーリーを価値として認めることで、経営的には大手企業に統合になってもブランド名は残っている。
やっぱり自動車業界は人があちこちに転職しようが、歴史が企業にとっての価値なんだな、と改めて思った。
翻ってチキン業界。創業期の困難はさておき、当業界の技術革新は、経営母体というよりも育種改良やシステム開発といった周辺で行われるので、あまり華々しいストーリーは出来にくいのだが、それぞれの企業で一つや二つ語り継ぐべき当時のエポックメイキングな出来事があったはずである。
そういうものを大事にして、企業のブランドを創り上げていかなければならないと改めて思う。
なにしろ海外からは安くてそこそこ良いものはこれまで以上に入って来やすくなる傾向は止められないのだから。
50年間ずっと効率最優先でやってきたチキン業界では、困難の度に洗練され、経営上「遊び」に当たるものが徐々に減ってきているように思う。
筋肉質で基礎体力が強くなっているとも言えるのだが、これからの人口減少、低成長の時代、それだけでは語るべきものがないつまらない時間を重ねるだけになりはしないか。
今も歴史を創っているという気構えを持ち、適度に遊びを交え、イキイキと仕事が出来る環境づくりを改めて作りたいと試行錯誤が見て取れるクラシックカーの数々を見て思った。
(鶏鳴新聞2011年新年号に寄稿した文章です)
50周年記念「感謝祭」を目前にして
早いもので50周年感謝祭からちょうど1ヶ月が経過しました。なんだかまだ10日か2週間しか経ってないような気がするのですが‥。
その時の社長挨拶は、2010年10月10日10時10分10秒のカウントダウンがメインになってしまったので、その時来場者の皆様に配布した社内報が社長あいさつという解釈をいただきましたので、今日はその拙い文章をそのまま紹介させていただきます。
この社内報が発行されるのは10月1日。数十年に一度のイベントを目前に控えて、関係者は最後の詰めの準備に忙殺されている頃でしょうか。
実はこの原稿を書いているのは9月1日です。1200人が入る市民文化会館の午前の部は社員関係者で1000人が埋まり、午後の部も一般市民からの応募が好調で、OBには午前の部に入っていただいたとしても抽選漏れがどうしても出てきそうです。
さて、この一連の50周年を祝うイベント。2会場ともに基本的に無料で振る舞うということになっております。タレントさんを呼ぶ費用を含め、たった1日で相当な費用がかかるのは言うまでもありません。さらに二戸市、久慈市、八幡平市、軽米町、洋野町、九戸村には寄付もすることになっております。そして、社員の皆様には、秘密の品物を記念品としてお贈りしたいと思っております。
こういうことが出来る体力を整えて50周年という節目を迎えることが出来たことを、社長として非常に嬉しく思います。
当社は十文字健助が中学生の頃の入院を機に卵の栄養に着目し鶏を飼い、やがて鶏肉にシフトしていき、ブロイラーの国内への導入にいち早く飛びつき、昭和40年代、50年代という高度成長の時期に、当業界に吹いた追い風に乗って着実に成長しました。
昭和60年代から15年ほど、輸入鶏肉の台頭と、急激な規模拡大による借金増大が重なり、非常に厳しい時期がありましたが、そうした試練をくぐり抜け、ここ数年は皆さんの努力と、比較的穏やかなチキンを取り巻く環境により、安定した舵取りが出来ております。
考えてみますと、こうして50周年を迎えることが出来ますのは、創業から一貫して、働いている皆さんがただ単に労働時間を提供しているというのではなく、気持ちを入れて仕事をしている結果ではないでしょうか。これは良き当社の伝統ではないかと思っております。私も引き続き、社員の皆さんの力を引き出す経営をしていきたいと気持ちを新たにしております。
今回いらっしゃる会社以外の関係者は、OBであったり、働いている人の家族だったり、地主さんだったり、ご近所の方だったり、やがて当社に入社する人だったり、消費者としてユニバースやジョイスやいわて生協で当社の商品を買って下さっている人だったりします。この地域で当社と全く関係のない人のほうが少ないくらいになっていると思っております。
十文字グループは「大家族主義」で行こうという方針ですが、地域の方々はみな親戚くらいに考えておくのが良いのかもしれません。
終わりに‥、2010年10月10日、10時10分10秒という時間も刻まれることですし、お祭り気分で当日は楽しく行きましょう!!
(写真:カウントダウンの40秒間をパラパラ漫画で‥)
2007年 年始の朝礼
今日は仕事始め。本社では、年始朝礼がありましたが、会長に続いて私からも訓辞をしました。
昨年の12月は、日齢を延長して相当大きめの生鳥を生産してお客様に迷惑を掛けないように作戦を組んだのですが、結局ちょうどよいくらいで落ち着きました。
そのことを、「新しいことに本気で挑戦するなら、極端なくらいがちょうどよい」という教訓になったのではないか、と述べました。気が付くと「そこまでやるか」を実践したはずが、ちょうどよかった位でした‥。世の中そういうことが結構ありません?
また、夢は大きく「この地域のトヨタ」になろう。地域の見本になるような仕事をしていきましょうと呼びかけました。
ただ、政治的な関与はこれ以上しませんよと、誤解の無きよう付け加えました。「健助会長は政治と距離を置いたけど、保雄社長は積極的だね」と昨年言われましたが、それを打ち消すようにしたいと思っております。
最後に新しい企画で「今年も笑顔で頑張りましょう!」「おー」(拍手)で締めさせて頂きました。なかなかこれ、よさそうです(自画自賛)。
父の旭日双光章受章パーティー
二戸パークホテルで、「十文字健助氏 旭日双光章受章を祝う会」が開かれました。同業者で同じ市内の阿部繁孝商店の阿部荘介社長が代表発起人となり、祝って頂きました。
もちろん、当社が事務局になって、父(会長)や私、社員、それに岩手県ブロイラー事業協同組合の櫻田常務や、司会のパネットの畑中社長、会場の二戸パークホテルの意見を加えて構成しました。短い時間でしたが、VIPの社長様方には喜んでいただだけたのではないでしょうか?
父は「開始前に飲食させること」「祝辞は1人」「セレモニーは30分で終わること」など、あれこれうるさい人です。基本的には父の意見でうまく違った雰囲気作りができたのではないでしょうか。
私の出番はまず、乾杯の後のテーブルスピーチをさせて歩く、サブの司会のような役割。さすが社長様方で、直前に十数人の方に30秒のスピーチを頼みましたら、ちゃんとそれくらいで終わらせて頂いて、和やかな雰囲気作りが出来ました。
最後の締めでは、力んで「岩手といえばチキン。チキンといえば岩手。と言われるように頑張ることが、皆様への恩返しになるのではないかと思っております」と言って終わりました。
関係者の皆様、大変お疲れ様でした。しばらくして、これから夜の2次会に出かけます。