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 11月29日、祖母のスヲが老衰で亡くなりました。大正5年生まれの97歳でした。

 親類縁者、町内会の方のみで葬儀を一昨日までに済ませました。お気づきになられた方から会社などに問い合わせがあった際には「ご遠慮ください」と伝えさせていただきました。みなさまご配慮ありがとうございました。

 一戸町鳥越から嫁に来て、6人の子供を産み、いっときは13人の大家族だった十文字家を嫁として切り盛りしてくれた人でした。

 長男(私の父、健助)が中学校を終わってすぐ始めた養鶏の手伝いをしてくれた人でもあったようです。事業拡大の折りには、今はライバル企業になるお隣のA社さんに借入しに行って快く引き受けてもらってきたこともあったそうです。その当時A社さんは雑穀問屋で、地元では農協と並び立つ存在だったとか。

 私は15歳まで一緒の家に暮らしましたが、「いだわしい」(=『もったいない』の方言)という言葉が口癖の、派手なことが嫌いな昔気質のおばあさんでした。そういえば子供の頃は曾祖母もいて、そちらは「おばあちゃん」と呼んでたっけ。

 自家製の味噌や、凍み豆腐、それらで作った干し菜汁がおばあさんの思い出の味ですね。その当時はあまり好きではなかったけど、もう食べられないと思うともう一度‥という気になります。

(写真:実家から見えた今朝の風景)