カテゴリ: 家族と
戸籍謄本で、我が家系の幼くして亡くなった名前を発見

今年亡くなった叔父の家族が十文字家の先祖の戸籍謄本を取得して、私のところにも回ってきました。
以前に先祖のデータをまとめてパワーポイントとかワードで作成した資料がありましてほぼその確認になったわけですが、今と違って幼くして亡くなった人たちの名前が浮かび上がってきました。
私の祖父、亥太郎は弟1人、妹6人いると思ってましたが、戸籍上は弟3人、妹7人だったようです。しかも、その亡くなった3人が同じ1920年(大正9年)に亡くなっている。スペイン風邪だったようです。
また、88歳の父、健助には弟2人、妹3人いるわけですが、亡くなった弟との間に長女がいて、生まれて2か月ほどで亡くなっています。
つい100年ほど前まではこんなこと当たり前だったんでしょうね。改めて死亡リスクと少子化の相関関係を考えさせられます。コロナ常態化で死亡率が高くなったら少子化から抜け出せるかも!?
長男のお嫁さんのご実家訪問

昨日昼すぎ家内と出発して、山形は庄内地方まで2人交代でロングドライブ。
グーグルマップの通りに走っていって、もうすぐというところでくねくね坂道に入って、トンネル抜けていよいよ下りというところで、なんと工事通行止め。
4時間のドライブのはずが1時間ロスして5時間かかって、約束の時間ギリギリに到着。グーグルマップを信じ込んではいけません。というか、他にクルマが全く走ってなかったのに鈍感だった(笑)。
夕方、お母様の呉服店とご実家を訪問させていただいて、夜にはご実家が町おこしのためにやられているという焼肉店「ニクザクラ」(写真)で楽しく歓待いただきました。
ここには私がJCで存じ上げている地元の会社さんが納めているとかで、世の中狭いものです。今回わざわざ当社の鶏肉を取寄せてメニュー化していただきありがとうございました。
適度に酔って1泊して、帰りは家内が北上駅まで運転して新幹線に乗って、私だけ二戸まで戻ってきました。
早朝の最上川に沿ってのドライブは靄がかかってて緑が逆光できれいでしたし、途中の田舎町の風景がまた美しく見えました。
鶴岡までは何度か往復してますので知ったる道ですが、今回はことさら楽しかったですね。我が子が仕組んだ新たな縁による旅、いいものですね。
十文字家のめでたいこと2つ

先週は十文字家にとってめでたいことが2つありました。
ひとつは5月27日、健助相談役が88歳、米寿を迎えたこと。コロナで外出は控えているようですが、糖尿病の薬を投与しながらも、ボケもせず日々楽しんで生活しているようです。
もう一つは5月29日、長男の開紀が結婚し入籍したこと。相手は山形県出身の同じ慶応大学の同級生です。
24歳3か月での結婚。私が33歳11か月と遅かったので、決断が早くて大したものだなと喜んでいます。
当時の私自身を振り返ってみると、あれこれ考えすぎだったなと思います。現代社会では多すぎる情報をある程度遮断して、教科書通りに進めることを放棄して、本能を前面に出すことが、結婚に大切なことじゃないのかなと思えています。
(今朝の朝礼でスピーチ/写真は先ほど市内散歩で)
アイスホッケー早慶定期戦、合計12回観戦

アイスホッケーの試合で、今最も観客が集まると言われる早慶定期戦。数えたら、生で12回見に行ったはずです。
次男が慶応義塾高校に推薦合格が決まった直後の1月が初めてで、もちろん身内は誰も出ないわけですが、その華やかさに驚いたものです。
そして実際に塾高アイスホッケー部の選手として次男が出場したその年5月の試合を見に行き、思いました。これから何年もここでプレーするとは幸せ者だなと。
次の年からは長男が大学チームの選手として出場。いきなり最初のセットのセンタープレーヤーとして出たことにビックリ。
いつだったかある日の早慶定期戦、高校の最初のセットのセンターが次男で、大学の最初のセットのセンターが長男という時があって、感慨深いものがありました。
そして長男が3年生になり、次男が大学チームに加わります。しかし次男は4番目のセットでギリギリベンチ入りということで出場はほんの少し。
その年の42年ぶりの早稲田への勝利という大興奮を、次男は微妙な立場で喜んだのではないかな。
次の年は、長男が4年、次男が2年でどちらもレギュラー。同じセットで出ることもあって、ゴールが期待されましたが、思うように成果は出なくて、ちょっとガッカリで申し訳ないような気分でしたね。
長男が卒業して、次男が3年生の翌年は、コロナで春・秋とも中止。4年生がかわいそう‥。
そして次男が4年生になり、再び早稲田への勝利のチャンスでしたが、最後の試合は4対5で惜敗。コロナで観客数は数分の1で、応援団やチアリーディングも制限がかかりちょっと寂しいものでしたが、他の大学のチームに無いこういう舞台でプレーできたことは幸せなことでした。
というわけで、1回だけ会社の行事に当たってしまい欠席しましたが、それ以外は生で楽しませていただきましたし、BS朝日で放送されいい記念品になりました。
また、早慶定期戦はスポンサー探しをして広告を売って、入場料を取って、ガイドブックを作って配ってと、両大学の部としてビジネスを組み立てるわけですが、プレーヤーとしての息子たちにもいい体験になったかと思います。
アイスホッケー部としては他にも、新人戦に当たる春の秩父宮杯のトーナメント、秋の関東大学アイスホッケーリーグ戦はネット中継が結構あったので、岩手の自宅にいながら息子たちの試合を興奮してみることができました。関係者の皆様に感謝です。
國學院大学のテニスとスキーのサークル出身の私としては、体育会系というだけで異次元ですが、アイスホッケー部は人が寝ている時間帯にリンクで週3回練習とか、考えられないハードな日々を、さらに二人とも怪我して手術して、数ヶ月静養とかを潜り抜けて全うしたことに、自分の子供なのか?と疑いたくなります。
何だかまとまらなくなりましたが、私の設計通りに全然行かなかった未知なるスポーツの世界の扉を開いてくれた、地元のアイスホッケー関係者の皆様に感謝です。
今更ながら思い出しました。そう言えば、私も若い頃はアイスホッケー、テレビで見るのは結構好きでした。
次男も大学アイスホッケー卒業

昨日、アイスホッケー早慶定期戦が東伏見のダイドードリンコアイスアリーナで開催され、4年生の次男、陽亮(ようすけ)の最後の試合ということで観てきました。
入場者数も何分の1かに制限され、静かな中の試合でしたが、両チームとも今シーズンの有終の美を飾るべく、熱い試合になりました。
戦力バランスもここ何年かの中では接近してて、慶應にも勝つチャンスありと見て行きましたので、第1ピリオドが1対1で終わったときはヨシヨシと秘かに興奮。
しかし、第2ピリオドで早稲田が3点追加して、限りなく勝利の可能性は遠のいたかな?
でも、第3ピリオドは慶應が意地を見せ、1点差まで詰め寄りました。が、惜しくもタイムオーバー。
いやー、でもいい試合見せてもらいました。両チーム素晴らしかった。次男も気持ちが出てました。
同じ慶應大学アイスホッケー部の2年後輩として兄、開紀(はるき)の背中を追った格好でしたが、兄が一年生の時から主力として出場してたのに比べるとちょっと出遅れた感じでしたが、兄同様視野の広いプレーぶりはやっぱり兄弟だなあと思えました。
その後についてですが、2人とも大学の間怪我したし、もうアイスホッケー卒業でいいと父は思ってるのですが、全然そうなってないみたい。複雑な気分‥。
(写真をクリックして拡大すると#24の次男の背中が写ってます)
我が家の設計指示、10の反省点

住み始めてから丸17年となる我が家。こないだリフォーム云々と夢想したようなことを書きましたが、その前に「反省」がしっかり出来ていないないと駄目だと気が付きました。
18年前、本社完成で大変気に入ったので画工房さんに自宅もお願いして翌年出来上がり、数々の美点があり十分満足してましたが、あくまで発注する側としての反省点を思いつくままに書いてみます。
- 本社と同じ自動手洗器を付けてもらったが、エアータオルの音で家族から敬遠された
- 中2階に両親が入居するかもしれないとトイレを3箇所にしたが、さすがに多過ぎた
- ガラス張りの階段はいいが、お風呂と寝室の間にあるのはさすがに参った
- 風呂は窓付き1階か窓なし2階と言われ後者を選んだが、妥協しなければよかった
- オーバースライダー付き自転車室は、クルマと一緒に見れる空間にすればよかった
- 無線ルーターを家の中心の階段上に設置と凝りすぎて、届かない場所になってしまった
- その頃既に無線が主流だったのに、有線LAN回線と電話回線を各部屋に付けてしまった
- 壁のアンテナ端子は地デジ・BS別々か一緒か訊かれて一緒にしたが、別々が良かった
- オーディオルームは横使用をも想定したコンセント類や窓にすればよかった
- 書斎のエアコンは風が体に当たらないような場所にと、よく考えればよかった
当時は新米社長であまり自宅のことなんて考える暇がなかったのかもしれません。いまなら時間的な余裕もあるから満足度高められる自信あるんですけどね。
10年ぶりに長男とゴルフ
兄弟揃っての最後の試合

一昨日は長男と次男が揃って同じチームで出る最後の試合、早慶アイスホッケー定期戦がありました。これが終われば長男はこの部から引退ということです。
写真は子供の頃の息子たちを知ってる宮崎の私の兄貴分Hさんが来てくれて、配布している紙メガホンの裏に書かれているメッセージを選んで貰ったそうで、2人の直筆です。

秋のリーグ戦の後半から長男・次男が同じセットになり、文字通り兄弟の息の合ったコンビネーションでスコアリング出来るか、祈るような気持ちで応援しました。

直近の対戦では負けましたが4対5といい試合になってましたし、この日早稲田は主力2人を欠いているとのことで、かなり接戦になるのではと期待していました。

試合を終えるとシュート数では34対54とまずまずでしたが、この日も決定力に欠け0対3で負け。
結構よく守れてたし、徐々に攻めも機能してきたので、第2ピリオドで2点目を献上するまでは声援に力が入りましたね。
3点差になって、最後4年生だけでセットを組んで2分弱走り続けましたっけ。

しかし、シーズン締めくくりの試合にこんなに大勢の観客の声援を受けてできるなんて幸せものですね。ちなみに兄弟2人並んで整列してましたっけ。

例年なら私は、岩手に帰る最終の新幹線に乗るために試合終了のブザーとともに会場を後にするのですが、長男が最後なので残るようにと家内に言われて、閉会式後の「リンクウォーク」に参加してみました。

選手たちの友人知人がリンクに上がり記念撮影大会。この中央の方は次男(左)のアルバイト先である蕎麦屋さんのオーナーで、なんと東証マザーズ上場予定だそう。屋号は「鴨屋そば香」です。いつも応援ありがとうございます。

長男の出た八戸高校アイスホッケー部OBの皆さんが駆けつけてくれました。早稲田のユニフォームを着ているのは長男の同期の大崎大祐くん。理系なのにアイスホッケーもよく頑張りましたわ。

宮崎のHさんを囲んで我が家族勢揃いの図。娘は大学受験なので試合は見てないはずですが、撮影のために来ました。
さて、新年度からの2年間は次男の応援に来ることになるでしょう。再びの勝利を期待したいものです。
長男は卒業後、海外に出るそうでアイスホッケーはストップかな。もういいでしょう!?

その前に、1月29日から八戸市で国体アイスホッケーです。長男は岩手県チームで、次男は岩手県の権利無しなので青森県か神奈川県ですが、今回初めて神奈川から招集がかかり行くことになりました。倍楽しめるのでこれはこれで嬉しい!
息子たちと初のお酒

長男と次男が帰省したので、実家で夕食。その後、T寫眞館さんの新居に顔を出したら用意されていて、初めて息子たちとお酒を飲みました。数日前は飲まないと書いたのに(笑)。感謝です。
さて、振り返るとこれまで私が息子たちのことで決断をしたのは、数えるほどしかなかったですね。
長男には、小学6年のときに塾に通わせたこと。それに高校は有名私立高校を受験させたが残念な結果に終わり、アイスホッケーの強豪校という選択肢もありましたが、地元の公立高校に行かせたこと。
次男には、北米への留学を諦めさせてそのまま地元の中学校に居させたこと。そして有名私立高校を受験させたら合格したので、娘と母親も一緒に付けて行かせたこと。
スポーツはサッカーとアイスホッケーを始めるきっかけは作ってあげたけど、それ以降はおまかせ。
ま、好きにやってほしいです。
さて、あ、もう新年ですね。時間です。良いお年を。
息子たちと酒飲みするかどうか

先月、次男の陽亮(ようすけ)が二十歳の誕生日を迎えました。
その時ふと気がついたのが、長男の開紀(はるき)が二十歳を迎えてもう2年近く経つのに、一緒に酒を飲んだことはないし、酒に酔っている姿も見たことがないということ。
私が酔って家に帰ってきて、ちょっとした醜態を彼らに見せたことはあったと思いますけどね。
そうしているうちに息子2人共、成人になってしまってどうしようか‥と少し考えてしまいました。しかもこの年末年始、娘が受験なので母親と岩手に戻ってこなくて、息子2人が我が家に2泊することになっています。
振り返ると私と会長もそんな感じで、わざわざ2人で飲んだことはないです。だからかイメージしにくい。
というか、そもそもそういうのが幸福だという感覚が持てない血筋なのかもしれませんね。親子であまり相談しないといいますか、領分が小さい頃から出来ているといいますか。
それに、私は胃が弱いので、お酒の回数は極力減らしたい。とりわけこの12月は結構なダメージを持って過ごしているので、飲みたくない(笑)。
というわけで、息子たち2泊しても一緒に飲まないと思います。彼らから誘われたら別ですが、それもないよなー。
結局、酒飲みの家系は一緒に飲むけど、飲まない家系は飲まないのか。
(写真:山口県の高速道路にも「十文字インター」があるんですね)
下の妹の結婚式

本日、下の妹が盛岡八幡宮で神前結婚式を挙げました。
長く生きてますが、こういうのは初めてでした。いいものですね。お参りに来ている第3者の方々にも祝ってもらえてる感じもあります。

たまたま今年1月2日、初売りの前に家族5人で元朝参りにこの盛岡八幡宮に来たのですが、まさかここで妹の結婚式をあげることになるとは!
その前に盛岡八幡宮に来たのは、3年前の國學院大學の院友会岩手県支部の会合でしたので、都合3回目でした。

私は新郎の会社の社長でもあるわけですが、新婦の兄に徹してスピーチなど出番なし。一番うしろの家族席に座って、望遠レンズを付けたカメラで撮影を楽しみました。
「嵐の追っかけとかで周りは女友達ばかり。好きなことばかりやってきて、結婚は諦めてた」と妹が最後にスピーチしてましたが、人生何があるかわからないものです。運命を受け入れていくことも人生の醍醐味なのでしょう。
なかなかお目にかからない懐かしい親戚と会話して、人それぞれ別々の人生を歩んでいることを確認みたいな感じでしたけど、皆さん年も年なのでリラックスしたいい空気感でしたね。天気も最高にいい演出をしてくれました。
ご参会の皆様、ありがとうございました。
残り1秒で追い付かれ‥

息子たちの応援のため夜行フェリーで苫小牧に早朝到着。
夕方見た試合は2回戦、慶應は日大と対戦。予想通り慶應が攻める場面が多いがなかなか点数が入らない。
それに対して日大はカウンター攻撃で決定的チャンスを何度か得るも、慶應キーパーの好セーブで試合終了5分前までゼロゼロ。
均衡を破ったのは慶應。泥臭い攻めでやっと一点。これで勝ったかと思って終了のブザーを待ってたら、最後の最後の5秒のところで審判がプラス3秒の修正を指示。
なんと残り1秒で同点ゴールを与えてしまい、ゲームウイニングショットは3人ずつの戦い。

先制したのは慶應でしたが、二人目で追い付かれ、三人目で逆転負け。僅差で競り負けました。
見てる方もどっと疲れました。しかし、実力差が拮抗してて、期待通りのベスト8を賭けたいい試合でした。最後の大会だけあってレベルも高かったと思います。選手の皆さんお疲れ様でした。
私としては2試合観戦の予定がこの濃い1試合で終了。でも十分堪能しました。
それに試合前ルスツリゾートで最高の雪質でスキー4時間滑ったので、十分満足。また、今夜夜行フェリーで帰ります。
長男、まさかの見開き2ページ

長男、開紀(はるき)のインタビュー記事がアイスホッケー専門誌のBreakaway通巻113号に出ました。9月29日、日体大戦でのハットトリックのご褒美かな。
「期待の」と書かれるのは「まだまだ」の裏返しなので、メンタル面強くなって頑張ってくださいな。
このことでお世話になった方々に喜んでいただければ幸いですし、また地元二戸カシオペアスターズの子どもたちの励みになれば嬉しいですね。
霊前で阿弥陀籤
早慶定期戦、42年ぶりの勝利ーっ!!!!!

もうずっーーーっと勝ってなかったわけです。
春の早慶定期戦は、慶應が40回連続負け。秋の定期戦は引き分け1回を挟んで、41回連続勝ち無し。手元の資料では確実に毎年春秋開催されたか確認が取れてませんが、40年間勝利に見放されていたわけでした。
ちょうど1年前、春の関東大学選手権で早稲田と当たって5対3で勝利していたので、その直後の定期戦での勝利が期待されたわけですが、3対7で破れました。
今年は春の関東大学選手権でまた早稲田と当たって0対3で破れ、その展開をネットで観戦してて今年は早稲田に勝てないかな‥と思い込んでの昨日の定期戦でしたが、あれれ‥始まったら序盤から互角の戦い。
これはもしや‥と話してたら、第2ピリオドで田中陸くんの先制点!
そして、第3ピリオド残り3分で相手が6人攻撃を仕掛けてきたのに対して、滝主将が相手をかわしてダメ押し点を挙げ、会場半分は歓喜の渦となりそのまま終了!!

早稲田側の観客にとっては淡々とした敗北ですが、慶應側にとっては「歴史的」勝利なわけで、セレモニー終了しても「観客席から上がってください」と係の方に言われるまでずっと余韻が残ってました。
私の観戦歴からしたら、春秋合わせてもう7回目。次男の出る高校戦の計6戦は2勝1敗3引き分けとほぼ互角でも、大学戦は全敗でしたからね。このまま勝利できないまま2人大学卒業と思うと寂しいと思ってましたよ。
できれば2人の息子たちが在籍の内に、とは期待してましたが、まさかその最初の試合で現実になるとは素晴らしい。ま、次男がリンクに上がるのは少しでしたけど。

シュート数は早稲田の51に対して慶應は48。勝因は相手に点数を与えなかったことでしょう。
キーパーの木村くん(今回MVP受賞)が完ぺきに抑えたことと、ディフェンスが機能して相手に思うような攻めを許さなかったこと。
これで勢いをつけて、常にこういう白熱した試合にして、ますます観客を楽しませる大会にしてほしい!
もう「40年ぶりの勝利が見られるか?」などという前書きは無くなったわけですし、ね。
(写真:上の2枚は息子たちが揃って後ろ姿で写ってますのでクリックしてみてください)
慶應、惜しくも約40年ぶりの勝利成らず!

昨日、アイスホッケー早慶定期戦を観戦してきました。春秋と開催してるのですが、私は一昨年から数えてもう5回目になります。
その中でもとりわけ今回は観戦に力が入りました。いや、長男がいるとかいうことを超えて。
春は引き分けを挟んで早稲田が40連勝中、冬も41連勝中なのですが、新学年最初の関東大会では直接対決で5対3で慶應が勝利。秋の関東リーグ戦では直接対決で1対2,3対4という僅差で破れています。
その秋の関東リーグ戦では最上位リーグの8チーム中、早稲田が4位、慶應が5位と接近してますから、4年生にとって最後の試合になるこの試合は力がはいるわけです。なんといっても慶應は勝てば40年ぶりですし、早稲田は負ければ汚点みたいな言われ方をするでしょうし。
第1ピリオドは早稲田が優勢に進め2点を先取。2点目を入れられたときは、慶應ベンチからため息が漏れました。ああ、今回も駄目か‥と。
しかし第2ピリオド、相手のミスに乗じてリック・スーくんが確実に決めると、チームに勢いがつきキャプテン安藤くんが豪快なシュートで同点。更に、ゴール前の絡み合いから運上くんが決めて逆転!!
しかし、早稲田も盛り返して同点にして第2ピリオド終了。
残るは第3ピリオドで、歴史が変わるかと期待しましたが、確かキルプレー(ペナルティで1人少ない状態)で、早稲田さすがのパスワークで勝ち越し点を挙げて、慶應の猛攻を凌ぎそのまま3対4で終了。
いや〜、こんな面白い試合、なかなか無いですよ。
こんなに負け続けていることを考えれば、やる意味あるのかな?とも思えるこの定期戦ですが、負け続けているからこそこんなドラマチックな展開があるわけで、一時の高知競馬じゃないですが、更にお客さんを呼べる余地があると思いました。今回も会場は満席でしたが。
そのためにも、過去の戦績を詳しくインターネットや大会冊子で見せたらいいのにと思いました。ネットでは見つけれませんでしたし、大会冊子にはほんの一部しか載せてませんでしたし。
負け続けていることが、最高のコンテンツでしょう(笑)。

さて、親として観た昨日の定期戦、次男は高校戦で5対1で勝ちましたが目立った活躍なしで、長男は大学戦で相変わらずのパスワーク命で地味な印象でした。
しかし、昨年春の早慶定期戦に続いて、高校戦・大学戦ともに兄弟で第1セットのセンターで先発したことが嬉しかったですね。
春には次男が大学に上がり、同じチームで2人またこんな大歓声の中で試合ができるということを楽しみにしてますし、2人がいる間に歴史を塗り替えられたら最高ですね。
それと、何より喜んでるのは家内でしょう。送迎から開放されますから。‥いや、寂しがるかな。
秋田でアイスホッケー東北国体予選を観てきた

昨日2試合と本日1試合、長男の開紀(はるき)が参加すると言うので、1泊2日、秋田県営スケート場まで行ってみてきました。
国体は少年(=高校生)と青年があって、今回長男は青年に出るんですね。大学2年なので当然ですが、立派な大人たちに混ざって出てると思うと、感慨もひとしおです。また、ひさしぶりに地元二戸のカシオペアスターズの父兄の顔を見たりして、懐しかったです。
さて、今回の大会は、東北の6県のチームが国体の4枠を競う形。
昨日、岩手は緒戦の対山形を19対0で快勝。そして3時間もしないうちに準決勝で東北王者の青森と戦って1対9で負け。
今日は3位決定戦で福島と戦い、3対5で負け。負ける訳にはいかない相手に後半かなりピリピリしたムードで攻めましたが、福島のガードは堅かったですね。
本番の国体は1月28日から神奈川だそうです。横浜の家から近いんだし、見に行きたいのだけどスケジュールはちょっと厳しいかな‥。
本日は母80歳の誕生日
それを作ったのは母でしたが、母が「おかげさまで明日で80歳」と言うまで、私は気が付きませんでした。
12月で80歳になるとは知ってましたが、明日だったか。うっかりしてました。
「若い頃は体が弱くて先々どうなるかと思ってたけど、80まで長生きして、子どもたちや嫁や孫達に恵まれて幸せです」と言ってました。
実際は、相変わらずまとまりのないこの5人家族ですが、そういうゆるさを許容しているところが偉いところでもあるかな。
元気そうですし、80歳は女性の平均にも満たないですから、90の大台は超えてほしいものです。
元気そうですし、80歳は女性の平均にも満たないですから、90の大台は超えてほしいものです。
そういえば、私は最近つくづく、父より母から価値観とか考え方を引き継いでいるなと確信しております。
父似なのは短気なところと新しもの好きなところくらいかな(笑)。
父似なのは短気なところと新しもの好きなところくらいかな(笑)。
祖父の23回忌

祖父が亡くなって22年。23回忌ということで息子3人、娘3人、娘3人、ほか親戚の数名が実家に集まり、私も参じてまいりました。
祖父は8人兄弟の長男、父は6人兄弟の長男ということで親戚関係多いです。皆さん長寿で心強い限りです。
ちなみに祖父の9歳下の弟、定吉が地元では秀才で知られていたのですが、残念ながら戦死してしまい、よくその話が出てきます。彼が生きていたらと思うとちょっと残念です。
さて、平成5年に私が家系図づくりを試みて、祖父が亡くなった平成7年にバージョンアップしたのですが、以降そのままにしてましてました。
今回祖父のひ孫たちまで最新の状態にできました。数えたら、ひ孫17人。多いように思えるのですが、祖父の子供が6人いたので、人口を維持するためには6✕2✕2=24人が目安なので、やっぱり少子化のトレンドに乗ってたということになりそうですね。
今日本の繁栄があるのは、沢山子供を作った時代があったから。つくづくそう思っている私。
マスコミでは明確に10年単位で世代別に、どれだけ日本に貢献しているかを論評していく風潮を作って競わせたらいいのに、と思うこの頃です。
長男に会社案内ビデオを見せてみた
ビデオ撮影したディスクの整理中

家族が横浜に引っ越した後の昨年のゴールデンウイークころから、これまで撮り溜めた動画の整理に取り掛かったと記憶しています。
一時はそれ用にブルーレイレコーダーを購入して、そこに過去の動画を全てコピーして、ネット経由で横浜でも自分たちが写った動画を見れるようにセットしようかと取り掛かったのですが、YouTubeにも長時間の動画がアップできることを知って、またgoogleフォトサービスが動画も自動でアップしてくれることに気がついて馬鹿らしくなり止めにすることに。
それにしても、撮り溜めた動画を1枚のBDにコピーしておくだけだと心許ないのでそのコピーを作成したり、複数のDVDを1枚のBDにコピーしたりしました。
また、これまでは1枚1枚スリムケースに収めてましたが、ブック型のケースがコンパクトかつ管理しやすいことに気が付き、 それもやって先程やっと1年半の私的プロジェクトが終了しました。
このDVD・BDが終わると、またCDや本との格闘が始まるんだろうな。捨てるものは捨てて、もっと「スッキリ」したいものです。
親子の距離

昨夜の宴会で、ある会社のオーナー家後継者へのバトンタッチがうまく行ってないという話になりました。
つくづく思います。自分もそうですが周囲の話を聞いても、親子関係がスムーズに行くほうが珍しくて、ギクシャクするのが当たり前だと。
私はといえば、いまはまあまあ良好な関係ですが、社長2年目が赤字だったということもあり、その頃は父もかなりピリピリしていて物を投げられた記憶もあります。あの頃はただただどちらが正しいかの言い争いをしてました。
その後、洗脳系(?)のセミナーを受けて、認識が足りない、感謝が足りないと指摘され、その反省で自ら実家を訪問する頻度を決めて、それを実行してとにかく父の話を聞く時間を持つことで、次第に良好な関係になっていったような気がします。
そして、できる範囲で親の言うことは基本的に聞くようにしています。ライオンズやロータリーに入るな。ゴルフ場の会員権は持つな、等々。
アイデアマンですぐ実行したがりの父ですので、時々社長の私としては困惑するようなことを言い出したりしますが、組織としては役員会で議論して決めるからと説明して、ダメな場合でも一応の納得を頂いています。そういう意味では、理解のあるスタンスでいてくれる親に感謝です。ただ、私財まで投げ打ってやろうとするときもあるので‥(笑)。
さて、今日は業者さんの接待で久しぶりに親子揃って同じ組でゴルフを楽しんできました。 いや、スコアやプレーぶりで勝っておかないと、軽く見られるので結構神経使うんですよ(笑)。勝てて良かった。
(写真:1992年6月26日九戸孵卵場竣工パーティーの時の写真を先週の環境整備点検で発見しました)
初めて息子の運転する車に乗った

昨夜、初めて我が子の運転する車に乗りました。
2月1日より高校から教習場に通うことを許され、時間を見つけて通ったようですが、卒業式の3月1日までには仮免許までに留まり、直後に大学のアイスホッケー部の練習が始まったため、横浜の教習場に転校して、5月下旬に何とか免許取得。
その後、家内が助手席に乗る形で経験を積み、いよいよ昨日を迎えたというわけです。
34年前に私が母の車、トヨタ・ターセル(マツダファミリアの大ヒットで真似して作った車)で練習を重ね、いよいよ父を助手席に乗せて走ったときのことを思い出しました。
旧山形村の田舎道を走っていて、砂利道の手前でスピードを落とさなかったので、ガツンと衝撃があり、父にしては珍しく、怒られた記憶があります。
さて、5分ほどの運転でしたが、昨夜の私からのアドバイスは3つ。
まずは運転姿勢。社員の運転する助手席に乗っていていつも気になっているんですが、最初に変な習慣をつけると一生そのままで、体のどこかの筋肉の負担がかかるので気をつけたいところです。
免許取得直後の当時、私はサーキット走行の教科書みたいな本を手に入れて、運転姿勢をあれこれ試してみました。ある市内の先輩には「十文字くんは天井に頭がひっついている姿勢なのですぐ分かる」と冷やかされましたけど、それも教科書に書かれている通りにやっているため。
特にハンドルの上を持つときでも腕が伸び切らないようにしています。
2つ目は、ステアリング操作で、どんな時でも常に外側を握ること。腕がクロスしないように送りハンドルを心がけて。
3つ目は、小道の右カーブはできるだけ外側を回るということ。
おそらくそれらの常識は変わっていないはず。クルマの運転からでも、凡事徹底を心がけてもらいたいものです。
後継者に最適な漫画?

漫画家の三田紀房先生は岩手県出身。
だからというのではなく、「ドラゴン桜」からその人生や社会の本質を突く鋭い表現にいつも感心して、ずっと単行本を買い続けています。
この「インベスターZ」は投資家の視点から日本経済を読み解くという趣向ですが、第12巻は若き経営後継者を勇気付ける内容でした。

いつも私が読んだら長男に渡してるんですが、今回は照れくさいです。
そういえば今や商学部の学生だし、株の取引は実際練習しておいた方がいいな。
学業とアイスホッケー以外、社会的な知識やお金の使い方はサッパリだったと思うので、それで挽回してほしい。失敗を経験してほしいものです。
ちなみに私は大学卒業直後のバブルのころ、父の資金を運用して、大損しました(笑)。
この1年で長男と食事を共にした回数

3月1日、長男は高校の卒業式を終え、翌々日には八戸市内のアパートを引き払い、1年前に次男、娘、家内が先に引っ越した横浜の借家に合流しました。
アイスホッケー部ゆえに下宿では迷惑がかかるだろうということで、高校のすぐそばにアパートを借りて、主に私が二戸から片道40分かけて通って面倒を見ることにしたのですが、大変というより楽しかったですね。運転は好きだし、作った料理を食べてもらう相手にはなるし。
1年を振り返って、どれくらい通ったかスケジュールを振り返ってカウントしてみました。正確に言うと、通った回数ではなくて、食事を何回共にしたかですけど。
結果は、1位夕食で85回、2位朝食で21回、3位昼食で6回、合計3桁突破の112回!
イェーイ!やったねー。100回くらいかなと思ってましたが、大学の推薦が決まって、私のスケジュールも普通に入れてさぼり気味でしたから、100回行かないかもと思ってましたが、食事回数で100回を突破したのは、なんだか嬉しい。
ちなみに、このうち外食で済ませたのが、びっくりドンキーとラーメン屋と回転寿司の3回しかないはず。
まだ推薦が決まる前の夏ごろには夜には盛んに塾に通ってましたので、早朝出かけて行って朝食作って一緒に食べて帰るというパターンも多かったです。52歳の体は朝早く目が覚めるので好都合だったかも(笑)。
但し、休日は昼と夜両方一緒に食べたりとかもあったので、二戸八戸往復の回数は合計数よりは少し少ないでしょう。
そういえば、今年1月早々には、私がA型インフルエンザに罹って、3日後には長男も罹って、長男が二戸の我が家に戻ってきて5泊して2人で朝昼晩食事を共にしたということもありましたが、もちろん上記のカウントには入っていません。
ちなみに、息子のアパートへの泊りはゼロでした。片道40分なんて通勤範囲ですからね。家内が八戸に来た時もホテルを取るようにさせました。
さて、さきほどアイスホッケー部の父兄のOさんが制作したビデオを拝見しましたが、夏の合宿の場面を見てましたら、長距離走をやってるシーンが出てきて、長男が部内(8人)で一等賞だったようで、ニンマリしてしまいました。肉をガンガン食べさせて、スタミナだけは負けないようにさせようと思ってましたので。
これで自分が貧血で物理部を選んだ高校時代のリベンジが果たせたかな。
(写真:立っている中で一番背の高いのが長男です)
息子たちがアイスホッケーを始めた経緯

本日は地元二戸市の岩手県立県北青少年の家スケート場でインターハイアイスホッケー競技の1回戦が行われ、第1試合には長男が、第2試合には次男が出場するという、なかなか無い巡り合わせを堪能してきました。
長男開紀(はるき)の八戸高校は、古豪の苫小牧工業との対戦。格上相手に善戦しましたが、9対3で敗れました。6対3まで追いついて第2ピリオドを終えたので、もしやの番狂わせを期待しましたが叶いませんでした。
長男はインフルエンザの後、センター試験を経ての今日でしたのでやや冴えなかったかな。しかし、他チームでいえば2試合分リンクに上がっている計算になるので(笑)、インターハイを十分満喫したといえるでしょう。
次男陽亮(ようすけ)の慶應義塾高校は、群馬県の渋川工業と対戦。持ち味を存分に発揮して16対0で快勝。次男はキーパー前の点取り係でしたが、なかなか決めれず地元の応援団をヤキモキさせましたが、1点は取ってくれました。ホッ。
さて、この試合に先駆けて、地元紙の岩手日報の社会面には、大々的に2人のことを取り上げていただきました。隣のSMAP存続のニュースより大きく(笑)。なんとラッキーなことでしょう。たまたま2人のチームがどちらも地元二戸で一回戦を戦うという巡り合わせになったことに感謝です。
そもそもこんなふうになったのも、まずは地元二戸にアイスホッケーのチーム「カシオペアスターズ」があったからこそです。総監督の青木先生に感謝。そして、誘ってもらった菅原先生に感謝。また、鍛えていただいた藤本コーチに感謝。それに仲間の皆さんに感謝ですね。
もともと長男が幼稚園の年長のときお誘いいただいて、断れない借りがあったのでつい行かせたのですが、そのシーズンが終わって打ち上げがあって、大人しいはずの長男が「ホワイトベアーを倒すぞ!」と抱負を語ったのにびっくりして、アイスホッケーも悪く無いかなと思い始めた記憶があります。
私が子供の頃はアイスホッケーはもとより、サッカーのチームさえ無かったのですが、授業でサッカーが得意だったので、子どもたちにはサッカーが向いているだろうと小学3年頃に入れさせ、これで雪国だけども夏も冬も存分にスポーツができるし、似たようなスポーツだから補完になると思ってたのですが、今思えばアイスホッケーの方に力が入ってたな。
自宅ガレージでハンドリングの練習を2人で地道にやってたしね。うるさいし、ガレージがそちこち壊れるので、父親は文句言ってたはずですが(笑)。
ちなみにアイスホッケーといえば危険なスポーツだと私も思ってました。でも、子供が徐々に大きくなって行くに連れて激しくなるわけですが、見ていると慣れます(笑)。不思議と。
冷静に考えると、あんなに硬い球を扱う野球とか、防具無しでガツンといくサッカーとかに比べてそんなに危険度が違うかな?と思えますが、いかがでしょうか。
それに、スピードや体をぶつけあうだけのスポーツかというと、やはりそれも違って、いかに相手の裏をかくかの頭を使うスポーツだと見ててつくづく思います。
私はやったことがないので説得力に欠けますが、やっても見ても楽しいスポーツ、それがアイスホッケーだと感じています。
24点差をつけて勝たなければならない試合

この週末、横浜の娘の中学校の体育祭を見に来たつもりでしたが、次男のアイスホッケーの試合のほうが大変なことになっていて、今夜、時間を工面して新横浜アイスアリーナに応援に行ってきました。
夏の高校選抜大会への出場権を争うこの神奈川県予選には3チームが参加していて、2強1弱の様相。その2強が先に先週激突し引き分けてしまったので、この週末は同じチームを相手に得失点差で競うという展開です。
昨日は先に武相高校がクラブチームの新横浜ジュニアを相手に24対1で快勝。
そして次男の慶應高校は今日それ以上の点差で勝てば8月に苫小牧での選抜大会に出場が決まるということで、試合開始から活発な動きでしたが、だからか相手はほとんどディフェンスエリアにいたので消耗が少なかったかな。
それに今日は残り10分ほどで、「ロス込」つまりプレーしてない時間も時計が動くということになってしまい万事休す。リンクを借りてる時間の関係でしょうけど、ちょっと不運でした。ま、そうでなくても分が悪かったかな。結果、17対1で終了しまして、選抜大会出場権は武相高校へ。
しかし、初めて次男のチームのプレーぶりを見ましたが、なかなかレベル高くて感心しました。これが高校からアイスホッケーを始めたメンバーが大半を占めるチームと聞くと、八戸エリアの常識ではにわかに信じがたい!
7〜8人のチームの新横浜ジュニアはちょうど長男の八戸高校みたいなハンディがあって同情を禁じえませんでしたが、時々逆襲を見せ健闘してました。有力高への流出で厳しいようですが、引き続き頑張ってほしいものです。
主夫業

長男が八戸でアパートに一人暮らしになったのは3月25日ですから、もう1ヶ月が過ぎました。彼は最初落ち着かない様子でしたが、今はだいぶ慣れてきているようです。
昨日までの34日間で、私は19日通い、23食を共にし、翌朝の食事もほぼ用意してきました。我ながら出足はかなりのハイペースですね。
まあ、二戸にいてもほとんど作って食べるのには変わりありませんし、クルマで片道45分位ですし、それくらいの時間通っている社員は結構いますしね。
食事の支度、掃除、洗濯、その他家のことあれこれやるのが嫌いじゃないので、主夫業は楽しくやってます。いまやこういうことをやっている時間が一番リフレッシュ出来ているような気がしないでもないです。
それと食育の最前線に立たされている気がしています。
一人で生活するとなると、基本まるまる食べ物の自由があるわけですが、スポーツする体づくりと、受験生として脳が良好に働き健康を維持するための食を、本人が自分で考えて実践できるようにすることが到達点なわけで、そうなれば料理する、しないに関わらず、安心して見ていられるようになるはずです。
しかし、それが出来るようにならなくても来年の3月でこの環境は終わりですから、自分としてもこの息子の主夫業の機会を楽しみながら学びたいと思っています。
「二戸の先人・人物たち」に私の家系について書いてあった

平成18年8月に発行されている「二戸の先人・人物たち」という、相馬福太郎先生著、地元の沢倉印刷株式会社さんが発刊の書籍に、我が家のことが書いてあるとS専務から手渡されました。

20年ほど前に家系図を作った後、お盆や正月に親戚が集まった時に確認作業をやったのですが、ここに書かれている風なことは明確には聞いてなかったですね。
そうか、九戸政実の乱のときに、秀吉軍の馬丁(馬の世話をする係)だったのか。これが分かってたら、昨年の文士劇は違う役が回ってきたのかも(笑)。

ちなみに私の高祖父(祖父の祖父)である辰吉さんに実の子はなく、血縁筋から養子・養女をもらって跡を継がせたとのこと。
ありがたい本を見逃してました。S専務、ありがとう。