私のルーツ

2018年12月04日

社長ブログを始めるきっかけをもらった本

IMG_20181203_092354_1

 数えたら、このブログを始めて13年8ヶ月、記事数は昨日までで3435となっています。

 社長室の書棚に懐かしい本が残ってました。「できる社長のブログ術」です。

 このブログを始めたのが2005年3月30日で、この本の初版は同年の1月ですから、まさしくこれを読んで始めたんでしょうね。

 表紙の織り込んであるところにこう書かれています。

 「社長の日常を見てみたい」「普段は何を考えているんだろう」
 「やっぱりちょっと変わった人たちなのかな」‥始めは興味本位で構いません。
 これを読み終えたとき、彼らがなぜその地位を確立できたのかが
 はっきりと分かるでしょう。あなたは今、”成功者”への一歩を踏み出したのです。


 こういう言葉を真に受けて始めたんでしょうね(笑)。でも私にしては珍しく、この本にはマーカー線が引かれていないのはどうしたことでしょう。

 楽しんでやってるのは間違いないです。写真も文章書くのも好きですし。

 でもそれ以上に、次世代に過去を振り返る便利な道具として残せるんじゃないかという思いも原動力になっていますので、毎日の読者数への関心はほどほどにしてます。

 などと言いながら、やはり読んでくれる人がいないと成り立たないのがブログ。皆様に感謝です。


jumonji100 at 06:52|この記事のURL

2018年04月22日

私とリクルートとの縁

DSCF6976

 「江副浩正」を読みました。リクルート創業者であり、リクルート事件で13年もの長期に渡る裁判で戦った江副さんの生涯を描いた、元部下2人によるノンフィクション作品。読み応えありました。

 江副さん‥。リクルート社内ではさん付けで呼ぶので、関係されている方々から決まって「江副さん」と口に出るし、それが周囲に広まって私でも「江副さん」ってこれまでの人生で何度も言ったような気がします。会ったことはないですが。

 それでも、リクルートとの縁は結構ありました。

 大学4年の卒業式前後に、池袋のリクルートの孫会社で1日のアルバイト。ポスティングする仕事でしたが、ノルマの件数が多くて時間までに帰れなくて、ノルマを果たして1〜2時間過ぎて要領の悪さを反省しながら帰ったら、「君だけがノルマ達成した」と褒められて、入社を誘われたこと。父の会社に決まっているので、と断りましたが、いま考えると道草しておけばよかった。

 そして岩手に帰るとバブルの頃なので、リクルートが経営する安比高原スキー場が最盛期なわけで、よく行きました。ゴルフを始めると系列の安比高原ゴルフクラブやメイプルカントリーに行くわけですが、「昨日江副さんが来てプレーしてた」とか「さだまさしと一緒だった」とかキャディさんからよく聞いたものです。

 同様にリクルート傘下になっていた盛岡グランドホテルには高校の同級生が入社していて、同級会などの集まりでよく使いましたし、気がつけばグランドホテル関係の友人がどんどん増えていきました。やっぱり相性が合ったのでしょうか。それにしても、彼らの江副さんや高塚さんへの敬愛の情は揺るぎないものがあり、羨ましく思えたものです。

 そして34歳誕生日直前で結婚式を挙げたときの会場は、盛岡グランドホテルでした。ちなみに人前結婚式のハシリで、後のホテルのパンフレットに写真が使われたはずです。

 上記の岩手のホテルやリゾート事業は、江副さんの懐刀である高塚猛さんが仕切っていました。ダイエーホークスの球団社長になる前から有名になってまして、私は著書をほとんど読んで尊敬してましたが、直接接したのは某金融機関主催の麻雀大会だったなあ。しかし、この本には出てこないのが残念。

 異業種交流会で盛岡に月2回出かけていた頃には、小倉義昭さんという安比高原のリゾート開発で江副さんの外部ブレーンとして活躍していた方がいらしてて、交流会の主宰者が「十文字さん、小倉さんと親しくしたらいいよ」と紹介いただいて、盛岡市内の職場を訪ねて話を伺ったことがありました。

 それから、37歳で社長になってから、都内のタクシー広告で新卒採用の手ほどきをしてくれる会社「ワイキューブ」を知り、連絡を取り訪問したら、リクルートを脱サラして作った安田佳生社長の会社でした。ありがたいほど教えていただいたのですが、この会社は残念ながらその後倒産。

 それと前後して知ったのが「リンク&モチベーション」というこれまたリクルートを脱サラした小笹芳央さんの会社。「潜在能力を引き出す」をテーマにしている私にとって非常に共感できる思想を広めようとしていて、私は今も同社主催の経営者セミナーなどでお世話になっております。

 岩手のリクルートの事業を加森観光に譲渡した当時の社長の事情をもこの本では描かれていて、江副さんは激怒したと書かれてましたが、傍から見ていて仕方なかったと思いましたね。

 それにしてもリクルートを退いて70代になっても、安比高原でスキーをしていた江副さんの元気には恐れ入りました。

 また、最後まで旺盛な事業欲には、当社会長にも通じるものがあって、83歳にして頑張っているので正直なところどうかなと思えていたところがあったのですが、それこそが創業者が創業者である所以なのかもしれません。

 いやはや、この本でいろいろ考えさせられました。先に読んでLINEで紹介してくれたKくん、ありがとう。


jumonji100 at 14:02|この記事のURL

2017年10月13日

懐かしい「こころざし、高く。」のコピー

004

 本日は、中途採用で若手の指導員S君に同行して、中村ファームに行ってきました。

 久しぶりにここの農場にやってきたので、まず私と農場長の雑談を少ししたのですが、その後は日頃やってる指導員と農場長の会話をそばでただ聞いているという構図(笑)。

 うーん、これって、50年も前に、父が農場に行った時にただただ待ってる私と同じだなと思ったりして。クルマの中だったり、コタツの中でみかん食べながらだったり、その家の同じ年頃か上の子供さんと遊んでもらったりだったけど。

 それにしても写真奥の高いところにある、平成3年に制作した新社名披露のときのポスターが懐かしい。下半分がカットされてるけど、「こころざし、高く。」のコピーが残ってる。懐かしい! このコピーは私があれこれ考えて出来たものです。

 そのこころざしは26年前のもの。今は、そのこころざしがその後どうであったか結果で評価されてしかるべき時。‥さて、どうなんでしょう。

 当時の思いは、とにかく国産が輸入品に押され混沌とした中から這い上がりたいという思いだったと思います。とにかくこの業界を取り巻く環境がぐんと良くなったことだけは言えますね。


jumonji100 at 16:39|この記事のURL

2017年07月12日

行ってないのは和歌山県だけ

DSCF8027[1]

 先月、福井県と富山県に行ったので、行ってない都道府県残るは和歌山県だけになりました。高野山に行きたいと思ってますが、さて今年中に達成できるか。

 日本地図をプリントして、それぞれの県の一番の思い出を書いてみましたので、せっかくなので改めてここに書いてみます。内容は思いつくままなのでご容赦を。

北海道:鶏糞肥料のお客様周り

青森県:家族が八戸に住んでた
岩手県:(地元につき省略)
秋田県:20代の頃海水浴に
宮城県:当社の秋保ブロイラー農場
山形県:土門拳記念館
福島県:社員旅行で常磐ハワイアンセンター

栃木県:鬼怒川温泉へ社員旅行
群馬県:林牧場さん視察とガレージ拝見
茨城県:日本ハムさん業者ゴルフコンペ優勝
埼玉県:全農チキンフーズさん研修
東京都:大学生のとき池袋に住んで渋谷に通った
千葉県:八千代市の石井食品さんの工場
神奈川県:家族が現在横浜に住んでいる

新潟県:鳥梅さんと佐渡ヶ島へ
長野県:武蔵野さんの実践経営塾
山梨県:甲斐食産さんとワイン痛飲

静岡県:前川製作所さん経営の朝霧ジャンボリーでゴルフ
愛知県:国際養鶏養豚総合展で講演
岐阜県:25歳の時にゲン・コーポレーションさんで3ヶ月研修
三重県:中部飼料さんとゴルフ

富山県:富山市内の環水公園
石川県:大学の卒業旅行で砂浜ドライブ
福井県:永平寺で座禅体験

滋賀県:彦根でPTA全国大会
京都府:ヒノマルさんによる数々の観光案内
奈良県:橿原市で産廃講習
和歌山県:(なし)
大阪府:鳥芳さん、鳥ぴんさんによる観光案内
兵庫県:日和産業さんとゴルフ

鳥取県:鳥八さんの社長と大山登山
島根県:鳥八さんの社長による出雲大社案内
岡山県:クラボウさんによる倉敷案内
広島県:鹿児島までドライブの途中スピード違反
山口県:取引先社長のご尊父さんの葬儀

香川県:森孵卵場さんによるうどんの店案内
徳島県:貞光食糧工業さんによる阿波踊り案内
愛媛県:21世紀の会で日本食研さんの宮殿工場視察
高知県:一冷さんの社長と黒潮カントリーでゴルフ

福岡県:鳥善さんの店の水炊き
佐賀県:ヨコオさんのファームホテルに家族で
長崎県:家族でハウステンボス
大分県:中津市唐揚げツアー
熊本県:21世紀の会で泊まった温泉
宮崎県:児湯食鳥さんの本社工場訪問
鹿児島県:エヌチキンさん本社工場訪問

沖縄県:父と海洋博

 以上です。こうしてみますと、ほとんど仕事関係でお世話になったことばかり。役得といいますか、ビジネスって有り難いものですね。

 普通であれば老後に出かけるであろう様なところに、現役のうちにこうして出かけたわけで、こりゃあ、老後も働かないと保たないかも(笑)。



jumonji100 at 09:29|この記事のURL

2017年06月16日

なりたかった職業は?

DSC01163

 来春の学卒者採用の二次募集の最終面接が昨日終了しました。

 30分間質問し続けるためにあれこれ用意しておくのですが、中には「小さい頃、大人になったら何になりたかったですか?」などと質問することがあります。

 では、そういう自分はどうなのか?

 「小学生の時は漫画家で、中校生の頃はオーディオ評論家、高校生の頃は工業デザインか建築家」みたいに答えてましたが、最近思い出しましたが、大学生のときはコラムニストというのがありました。

 雑誌が好きで、確か13誌ほど定期購読していたと思います。カラー写真と好きなカテゴリの文章をせっせと読んでました。で、読んでいると、こんな文章だったら自分にも書ける!と思えてきたんでしょうね。

 それでは、社会人になってどれくらい成就しているか振り返りますと、自宅もクルマもオーディオにこだわって音楽を楽しんでますし、会社の建物や自宅、それに会社のグッズや広告などのデザインにあれこれこだわってますし、こうしてブログを書くことでコラムニストも実現しちゃってます。

 あとは‥、何だか自分の人生自体が漫画じゃないかと思えてきています(笑)。


jumonji100 at 09:30|この記事のURL

2016年12月15日

はじめて盛岡冷麺を食べた日

DSC_0032

 今年は盛岡駅前の「盛楼閣」にて食事する機会が何度かありました。

 思えば、初めて盛岡冷麺を食べたのは、結構遅くて30歳前後だったような記憶があります。 それまで焼肉店に行ったことがなかったのですが、友人がこの店が好きでよく連れていかれて、焼肉も盛岡冷麺も大好きになったのでした。

 でも、やっぱり最初は「何これ!ゴム食べてるみたいだ!こんなの食い物じゃない!」と拒否反応がありました。でも、3度目にはすっかりファンに。実はこれが標準的なパターンのようです。

 最初の拒絶反応ってホントあてにならない、とつくづく思います。身近なところでは、鶏の足、通称「もみじ」を食べることについても最初は私でもやっぱり抵抗がありましたが、いまや普通に味わって食べれます。

 ですから、海外に行っての、ちょっとやそっとのゲテモノ食いなら、平気な顔をして食べる努力をしてるつもりです。鈍感なわけではないので、誤解なきよう(笑)。
 
jumonji100 at 22:26|この記事のURL

2016年11月26日

久しぶりに母校、國學院大學のキャンパスへ

IMG_4022-001

 今年6月の院友会(OB会)出席の時にいただいた、大学案内の冊子がよくできていて、かつ最新の校舎が印象的だったので、いつか寄ってみなければと思ってましたが、昨日、積雪の影響で接待ゴルフがキャンセルになったことで時間ができたので行ってみました。

 おお、私が現役だった時の面影は全く無いじゃないですか。20代のうちに何回か足を踏み入れて以降行ってないので当然といえば当然ですが、別物になってました。

 上の写真のメディアセンターの地階は無料で入れる博物館になっていて、國學院の設立からが振り返られるようになってました。

 そもそも皇室構究所がその始まりとのことで、そういうことに全く関心なくこの大学を選んで入って卒業した私としては、このハイセンスなキャンパスとともに、今の学生たちが羨ましいような気がしました。

IMG_4025-001

 キャンパス内の神社になんて在学中は入ったことなかったのですが、新装になっていたので改めて入ってみました。清潔感にあふれ、いい感じでした。

IMG_4024-001

 神社から出ると対照的にモダンな校舎が見えます。

 少子化で大学同士の競争がこれからより激しくなってくるでしょうけど、ひとまず環境面で競争力をつけていることに素直にうれしく思いました。

IMG_4027-001

 右の國學院大學のポスター、これも良くできています。

 この国の心をうつす、日本人になろう。

 長い年月を積み重ね、培われてきたこの国の思想や文化。

 私たちの心の奥に根ざしているもの。

 カタチには表しにくいものですが、例えば正座の仕方にも、

 箸の使い方にも、私たちの日常の仕草や振る舞いの中に、

 その美しさを観ることができます。

 この思想や文化を礎にこれからの社会で

 世界に向けて活躍する人を育てる。

 それが國學院大學の役割です。

IMG_4028-001

 大学としてのアイデンティティを一本筋を通して表現しているキャンパスや媒体の表現。いいじゃないですかー。より愛着が湧いてきました。

IMG_4032-001

 ついでに裏の院友会館の辺り、広尾中学校との間の道路にも行ってみました。あの頃は図々しくも愛車ホンダシティターボをここに路駐してました。(私だけでなく)

 今の清潔感あふれるキャンパスには似つかわしくありませんね。今は止めれないようにはなってましたが、止めれたとしても、やらないでしょうね。
 
jumonji100 at 09:33|この記事のURL

2016年11月12日

バトラー氏夫妻へのプレゼント

IMG_2229_R

 29年前に私のイギリス研修をアレンジしてもらった恩人であるデビッド・バトラーさんが、初めて奥様を連れて来日ということで、日本チャンキーさん主宰の懇親会に呼ばれ上京してきました。隣には、日本側でお世話になった山下憲吾氏もいらっしゃり、とっても懐かしかったです。

 バトラーさんとは6年ぶりにお目にかかりましたが、80歳になられ杖をついておりましたが、相変わらずスコティッシュジョークを交えた現役当時と変わらぬ話しぶりでしたし、29年ぶりにお目にかかる奥様が私の正面に座られたこともあり、ついつい焼酎のお湯割りが進みました。奥様はガーデニングをやっているということでその話題ももちろんしました。

 あっという間に3時間が経ち、締めの前に写真手前の私から、地元二戸のパイシーズさん謹製のビールジョッキをプレゼント。

 実は、出かける4時間前に思いつき、昔の写真を探し出し、私自ら筆ペンでバトラーさんの似顔絵を書いて、それを華やかにデザインしてもらって、グラスに模様を刻んでいただいたものです。

 コレにとっても喜んでいただき、締めの前にバトラーさんの口から更に一杯のビールが入ってしまいました。

 パイシーズ代表の田中祐也くんには急なお願いをしました。持つべきは近くのセンスある仲間ですね。感謝です。

(写真撮影は福田種鶏場の山上祐一郎社長です。ありがとうございました)
 
jumonji100 at 20:14|この記事のURL

2016年10月06日

甘党復活

IMG_2587

 父が糖尿病でしたので20年ほど甘いものを控えておりましたが、逆単身赴任が始まってから、売り場の誘惑に勝てず、少しずつ復活してきています。

 人間ドックで良好な値が出てましたので、この年齢まで来たら逃げ切れるかと、合理的解釈をしています。稲盛塾長も最近タバコをよく吸っているようですし(笑)。

 甘いものの中でも圧倒的に好きなのはアイスクリームでして、たまに自分へのご褒美として買って食べてますが、最近ご褒美の頻度が高すぎるかも知れません。

 一番好きなのはこないだまで「ジャイアントコーン」でしたが、今は「チョコモナカジャンボ」です。一番売れているだけあって、素晴らしいです。

 実はチョコレートアレルギーを持ってて、食べ過ぎると歯が痛くなります。しかし、これくらいなら大丈夫みたいです。

 そんな私の目に入った、棚積みの「バッカスチョコレート」「ラミーチョコレート」。なんと、冬季限定じゃないですか。懐かしくてついつい買ってしまいました。子供の頃結構食べれて、洋酒入りということで大人気分だったんですよね。

 正直甘すぎるチョコレートは既に体が受け付けなく、余してしまうくらいです。しかしこれは別。歯の痛みと戦いながら少しずつ消化していきたいと思ってます。

jumonji100 at 06:13|この記事のURL

2016年08月10日

28年前のマナウスでの思い出

Top-003

 リオ五輪のサッカー日本代表が初戦でナイジェリアと戦った都市が、マナウスだったと聞いてとても懐かしく思いました。

 こうしてマナウスに滞在したときのアルバムを開いてみたら、1988年のことでしたので、はや28年が経過しているのですね。

 当時、螢函璽瓮鵝文宗豊田通商)のお誘いでブラジルへの投資案件の候補を父と一緒に視察に行ったときに、ついでに観光でマナウスにも寄ったのでした。

 そのジトッとした暑さは半端無く、日系人を含む地元住民のまつ毛上下が皆バラのトゲのように見えたという強烈な印象があります。

 ホテルトロピカルマナウスというところに宿泊したのですが、サンパウロやリオデジャネイロとはさすがに違う調度品で、クーラーがかろうじて機能していたことを覚えています。夜でもこれが故障したら生きて帰れない気分でした。

Top-004

 マナウスでは丸一日かけて、アマゾン川クルーズに参加しました。乗客は9人で、うち我々日本人は3人。

Top-002

 その時のことも強烈な印象です。こんな奥地に来ているはずなのに、物売りに寄ってくる。

Top

 ワニを見せてチップを貰うのですね。

Top-001

 私を撮ったんだか、後ろのかわいい女の子を撮ったんだか‥。

 マナウスではもうひとつ思い出があって、翌日の昼ごはんに何が食べたいと聞くので、「手元の本には日本料理の店が載っている。こんな暑いところで日本食が食べられるなんて面白そう!」と言わせていただいてタクシーで行くと、そこは繁華街から離れた一件の家っぽいところ。

 他に客は無くって、客が来たことを驚いているような状態でした。私は確かあんかけ焼きそばを頼んだのですが、その麺がかなり古いことが分かるようなシロモノでした。

 それでもお腹が空いてたので食べたのですが、その日の夜行便で米国行きの飛行機に乗ったら、腹痛が強烈で‥、今考えると開店休業状態のレストランだったんでしょうね。

 というわけでとにかく強烈な印象の数々を抱いたマナウスの旅。先日テレビで観たアマゾン川流域の現在はかなり開発が進み、28年前とは大違いの状態のようです。

 都市としても、観光客を迎える体制としても今は以前とは違うのでしょうけど、又、行きたいか?と聞かれたら、うーん、止めておきます(笑)。もうブラジルは8回くらい行ってるので、十分です。


jumonji100 at 09:46|この記事のURL

2016年08月02日

アマチュア無線

IMG_1099

 日経新聞にアマチュア無線のことが連載されていて、この懐かしい言葉に、脳味噌の端っこを大いに刺激されています。

 盛岡三高に入学時、貧血でスポーツは諦め、文化部のどれを選ぶかという時に、写真部が希望だったわけですが、事前に探察に行って仲良くなっていたのは物理部で、ついつい入部することに。

 それは長髪の村井さんとリーゼントの三上さんという3年生の先輩2人の魅力が大きかったと思います。物理部は実質アマチュア無線部だったわけですが、 私がオーディオをやりたいと言ったら、オーディオ班を作ると言われて退路を断たれてしまったし。

 ですので私はアマチュア無線の資格を取らずに物理部にいたわけですが、電波を出して見ず知らずの人達と交信して会話するというこの世界について行けなかったというのが正直なところです。

 でも進学が決まった後に、取っておこうと資格試験を受けて、JA7YECというコールナンバーを取得しました。ですが、ポータブル機を買ってもペーパードライバー状態が続き、10年後の更新もしないでとっくに失効しています。

 今考えると、すごくいい趣味だったなと思います。見ず知らずの方と話すので度胸が付きますし、QSLカード(交信証ハガキ)を交換して世界中に仲間いるぞみたいな感覚になれるし。

 とにかくシャイだったんでしょうね、その頃は(笑)。

 でも2人の先輩が他の仲間も引っ張ってきて部室でおしゃべりばっかりしてたので、だいぶ解消されたはずです。改めて、感謝です。


jumonji100 at 16:55|この記事のURL

2016年07月02日

投資に関心はすごくありますが‥

image

 ジム・ロジャーズの「冒険投資家ジム・ロジャーズのストリート・スマート」を読みました。

 彼の本は「冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見」と「ジム・ロジャーズ中国の時代」について3冊目でしょうか。

 相変わらず舌鋒鋭く面白いです。投資家やファンド会社代表の本は面白いのでほかにも読んでます。

 というわけで私自身、予備知識は豊富になってるのですが、投資については本気で取り組んでないというのが正直なところです。 

 ちなみに、社会人になったのはバブルのころ。友人がN証券の営業マンとして入社したこともあって、父が株式投資やってみなさいというので、数千万円単位で株式投資して、空売りとかもレバレッジ投資も経験しましたし、ピーク時は人並みに儲けましたが、バブルがはじけて御多聞に漏れず大損に終わってしまいました。

 その後、盛和塾を学んでからは塾長の教えに従い、会社で金融資産に投資することはほぼゼロ。

 個人的には、この仕事をしていて関係する会社と個人的に興味のある自動車会社の株をほぼ最小単位で持つだけ、それ以外は国債とインデックス投資だけですね。利益というより学習のためです。

 というのも、私も本業に100%、社員も本業に100%力を入れられるようにすることだけは外せないです。あぶく銭が生まれるとどうしても本業を疎かにしてしまいますから。頑張ったらダイレクトに会社の数字が出てきて、結果社員が潤うようにしたいと思っています。


jumonji100 at 10:27|この記事のURL

2016年06月27日

脳力開発

IMG_0468

 20代の頃、リコーのMUG(マイツール・ユーザーズ・グループ)に属していました。

 マイツールは、マイクロソフト・エクセルはおろか、ロータス1・2・3が普及する以前にマニアックに普及した超高価格(ハード・ソフト込みで120万円)なリコーの表計算ソフトです。

 全国の若き経営者、経営後継者に普及して、MUGは経営道を学ぶ寺子屋みたいに機能していました。

 そこはマイツールの使い方、応用の勉強会にとどまらず、西順一郎先生考案の経営のボードゲームである「マネジメント・ゲーム」にも同様に取り組み、経営感覚を身に着けました。

 さらに、第3のテーマとして、城野宏先生の「脳力開発」がありました。その小さな冊子が本棚に隠れてましたので、久しぶりに開いてみました。

IMG_0467

 ああ、懐かしい。

 「戦略と戦術の違い」「欠点より長所に視点を」「現状維持より現状打破」などの言葉、よく会話で使って自分に言い聞かせていたような。

 これは月刊PHPへの連載したものを36ページにしたものです。せっかくなので背表紙が立派な著者オリジナルの脳力開発の本を手に入れようとアマゾンで探したのですが、うーん、新書なのにプレミアがついて1万円弱ですか。参った。
 
jumonji100 at 06:36|この記事のURL

2016年04月14日

書体デザイナー

P3660653

 小学校低学年の頃、ゴシック体を猛烈に好きになりました。

 今考えると、字が下手だったり、書道が苦手だったりしたことで好きになったのかもしれません。

 その頃は、普通に書く文字もゴシック体に似せようと書いてましたので、学校で教える書き方の「払い」とかいうことがイヤで、更に変な文字になっていったような気がします。後悔しています(笑)。

 でも、今考えると、これもシンプル志向の現れだったのかもしれません。生粋のシンプル志向ということかな。

 さて、NHK Eテレの「スーパープレゼンテーション」という番組の3月26日の回で、書体デザイナーの権威、マシュー・カーターさんの講演を見ました。関心のあったこの地味な世界が知れて良かったです。

 カーターさんと同様に活躍中のドイツ在住書体デザイナー、小林章さんのインタビューもあって「書体とは声のようなもので、大人の声で言うのか、子供の声で言うのか、怒鳴っていうのか、老人の声で言うのか、雰囲気を伝えるもの」で、「存在を意識しないで読んで貰えたら最上の喜び」みたいなことを言ってました。奥ゆかしい世界です。

 そして、番組の案内役である伊藤譲さんが所長を務めるMITメディアラボでは、独自の書体(英語)を持っているのだそうで、組織のフォントを決めるということの価値を訴えておりました。

 そういえば社員にいちいち指示したりすることもありましたので、コーポレートカラーと同時に、それを決めるのもいいのかもしれませんね。
 
jumonji100 at 12:09|この記事のURL

2016年02月20日

マッカ

DSC00088-1

 冬季には裸祭りが全国各地で開催されますね。2〜3日の風邪で済むならいいのでしょうけど、中には体の機能が狂って一生を台無しにする人もいるんじゃないかと、いつも妙な心配しながらテレビで見ています。

 秋田の重要無形民族文化財「なまはげ」もそうで、中には一生のトラウマになる子供も出てくるのじゃないかと心配したりして。しかし、秋田県の小学生の学業成績は日本一ですし、もしかして「なまはげ」もそれに貢献しているのではないかと思ったり。

DSC00109-1

 さて、だいぶ寒さも和らいできましたので、今朝は久しぶりに1時間ほど散歩してきました。いつもながらの九戸城跡へ。

 そして、久しぶりに白鳥川に面した断崖を確認してきました。

DSC00097-1

 ワオ! こりゃあ怖いわ。難攻不落が実感できますね。

 そういえば私が物心付いた時には、こう言われたものでした。

 「言う事きかない子は、マッカから落どすよ!」

 そう言われた時の恐怖は、もう、ものすごいものがありました。もしかすると私の従順さはこの言葉があるから養われたのではないかと思ったりするくらいです。なまはげと同じか!?

 マッカを漢字で書けば「真下」ですね。地元にはこの苗字の方が結構いて、おそらく崖のそばに住居を構えていたから付けられたのではないかと思います。

DSC00112-1

 帰り際、もうそろそろ架け替え工事になる岩谷橋から白鳥川の崖の方を眺めると、こんな風景です。

 改めて、崖と共生している街なんだなと我が故郷を思ったりします。

 ちなみに屋根の色は、真っ赤が多い(笑)。

DSC00117-1

 最後に、二戸大橋から馬淵川を撮影。コハクチョウでしょうか。

 朝早いこともあり公園には誰もおりませんでした。放っておくことが定着しているようで、ありがたいです。

 おかげさまで、今シーズン日本国内での高病原性鳥インフルエンザの発生は今までのところありません。感謝です。
 
jumonji100 at 09:24|この記事のURL

2016年02月18日

1冊の本を1枚の紙にまとめる

P3660180

 私は感化されやすい性格なのか、ハマれば読んだ本にどんどん線を引いて行きます。

 昨日帰りの新幹線の車中で読んだ本がドンピシャでした。ピンクのマーカー線をバンバン引くので、そのキャップの開け閉めで周囲の人に不快になってないか少々心配なくらいでした。

 これは20代の頃から変わらない性癖らしく、会社の本棚を整理して昔の本を開くとかなり線が引いてあります。

 さらに若いころは、気に入った本は線を引いたところを要約して、写真のように1冊の本を1枚の紙にまとめてた時期があります。さすがに長くは続きませんでしたが、書いて自己満足してたんですね。

 ちなみに受験生の長男の様子を見ていても、やっぱり異常に綺麗にノートにまとめてました。おいおい‥。

 手段が目的になるところが、血を争えない(笑)。


jumonji100 at 14:57|この記事のURL

2016年01月02日

そういえば私もゲーム好きだった

P3650326

 あけましておめでとうございます。

 元旦から2日にかけて、我が家族と実家の家族と9人で、星野リゾート青森屋に泊まってきました。

 日本経済新聞の「達人推薦 3世代で楽しめる家族旅行の宿、東西14施設」で、スパリゾートハワイアンズに次いで2位に選ばれた宿です。私が泊まるのは3度めかな。

 以前は、「古牧温泉ホテル」と呼ばれていまして、幼いころ両親に連れられてですから、かれこれ50年近く前(!)に何度か泊まった記憶があります。もちろんリフォームしてキレイになっています。

 その当時、ここにあったクルマのドライビングゲームにハマってました。今のように画面上でプログラムと戦うのでなくリアルなもので、ランニングマシンのように道路が書いてある地面が回って、その上に設けられた突起を通過すればスコアが上がるというものでした。

 当時は寝ても覚めても頭のなかにこのゲームのことが頭に浮かび、このゲームのために数カ月先に古牧温泉に行くのを楽しみにしていた記憶があります。

 確かその後にも、同じように古牧温泉にあったパチンコゲームにもハマって、寝ても覚めても頭に浮かんでいました。

 小学校に入学し、その思いが薄れてきて、高校時代にインベーダーゲームやギャラクシーが流行した時に自分でもやってみましたが、あまり上手じゃなかったこともあってすぐ飽きてしまい、以降は大学時代、スーパーファミコンで麻雀を覚えたくらいで、人よりはゲームにハマらなくなったように記憶しております。

 パチンコや競馬なんて、学生時代ハマっていた友人に連れられ何度かやったのですが、ハマらなかったですね。今考えると、負けるのがどうしても嫌だったからでしょう。

 残ったのがクルマの運転で、これは負け=事故とかの確率が少なくて、道路との楽しい勝負ができるからとも言えるかな。

 そう言えば、幼いころクルマに関しては、道路の凸凹に対応してサスペンションが動くということに内心物凄い感動があって、それがミニカーとかプラモデルで再現されていないことが偽物みたいな感じで思っていた節があります。

 今クルマの乗り心地にやたらこだわるのは、そういった幼い頃の記憶もあるような気がします。

 それと父のクルマがトヨタクラウンになった時の格段の乗り心地アップでしょうか。

 ところで、もうすぐ運転免許が取れる年齢になる長男は「運転が怖い。自分で運転するなんて想像がつかない」と言ってましたので、ちょっと心配で、ゲームコーナーでドライビングゲームをやってもらいました。

 そうしたら、「懐かしい!マリオカートよくやったな〜」と言いながら喜々としてプレイしてくれました。ホッ。

 子どもたちを車好きに仕上げるまでが私の義務です。というか、そうでないと寂しい(笑)。


jumonji100 at 23:59|この記事のURL

2015年11月10日

副知事に言われて思い出した話

DSCF5823

 久慈工場増設に伴い、津波・原子力災害補助金をいただくことになったことのご挨拶に、本日岩手県庁に行って来ました。

 対応していただいたのは千葉茂樹副知事です。確かどちらかでお目にかかっているはず。でも数日前にローカルテレビで拝見してもどうしても思い出せなかったのですが、私が地元の青年会議所(JC)の理事長をやっている頃に二戸地方振興局に赴任しておられて大変お世話になった方なのでした。

 そのことを告げられ、また私のあるエピソードを覚えていらっしゃって恐縮してしまいました。その話とは‥

DSCF5822

 JCの理事長を務めた翌年には直前理事長になるのがお決まりなのですが、それが終わっても40歳の卒業まであと3年ありまして、お荷物扱いされるのも何なので、当時の当社の基幹工場がある地元久慈市の久慈JCさんに移籍することを企てたのでした。

 そうしましたら、二戸JCからも久慈JCさんからも大反対を喰らいました。地元は振り切ってでも実現したい思いだったのですが、受け入れる側が「ウン」と言ってくれなくてとうとう諦めたのでした。

 いま考えると、その動機には少し純粋でないものが有りましたが、お互いの発展のためにも、良い刺激になったのではないでしょうか。押し通して実現させればよかったかな。

 ま、その年には当社の社長に就任しましたので、久慈JCさんでも扱いづらかったかもしれませんが。

 そして、エンディングの40歳の年には二戸JCに戻り、両JCから暖かく送ってもらい卒業!

 うーん、やっぱり動機不純は実現しないかも(笑)。


jumonji100 at 14:49|この記事のURL

2015年06月17日

ずぐなす

IMG_20150617_090800_1

 子供の頃、言われて一番落胆する言葉といえば「ずぐなす」だったような気がします。

 「臆病」とか「怖がり」とかいう意味の方言で、そう言われないよう上級生に精一杯背伸びしていたように思います。なにせ私の住んでいた町内には、私の上で一番近いのは3学年で、絶対はむかえなくて怖かったですからね。

 そして大人になって、52になって、先日紹介した「小山昇の失敗は蜜の味 デキる社長の失敗術」を読み終えて、「ずぐなす」とはまさにこの本で言っている「失敗を恐れて何にも挑戦しないこと」だったかもしれないなと思えてきています。

 「何かを失わなければ、何も得られない」とも言いますけど、自分の欲しいモノが自分の中で明確になり、そこに一歩一歩近づいていくってことは「ずぐなす」では得られないわけで、悪ガキだった町内の上級生たちに感謝しなければならないかも。

 もともと根が相当ずぐなすだったと思いますから、私は。

(写真:今日も品質部の農場監査に同行し、なんでもない花を撮影)


jumonji100 at 18:14|この記事のURL

2015年05月10日

岩手ビッグブルズ、優勝するよね!?

P1000161

 昨日は2回目の会社説明会が盛岡であり、私の出番は14時頃からでしたので、市内青山の岩手県営体育館で13時試合開始の「TKbjリーグ プレーオフ イースタンカンファレンス セミファイナル」第一試合の半分弱を見てきました。

 相手は青森ワッツ。なんと岩手から移籍した選手が2人いるじゃないですか。隣の県ということもあり、ブルーの服を着た応援団が目立ってましたし、両チームの応援がこだまして異様なムードでしたね。

P1000173

 岩手は10番のスクーティー・ランダル選手が順調にシュートを決め、スタート早々差を広げたと思いきや、あっという間に青森に流れが行き、またその後岩手が連続して点を入れて、これは勝ったなと思って第2セット前に体育館を後にしたのですが、あとでニュースを見たら何と第4セット終了間際同点に追いつかれてなんと延長。

P1000167

 しかし岩手が自力を発揮して、終わってみれば97対87で勝ってくれました。それから今日の試合も111対57と圧勝して、ファイナル進出を決めたそうです。東地区の優勝を争う相手は秋田ノーザンハピネッツだそうで、今年はなんとしてでも勝ってリーグ優勝までたどり着いて欲しいですね。

 JBLとbjが次の次のシーズンより統合ということだそうですね。日本人が必ずしも互角に戦えるかどうかという問題はあるとしても、個人的には間違いなく見て面白いスポーツの一つだと思うので、新しいリーグは華やかにやってほしいものだと思います。その分アイスホッケーが押されるのかもしれませんが‥。


jumonji100 at 19:35|この記事のURL

2015年04月20日

私には挫折が無さそうですか?

P1000361

 今日の経営会議での京セラフィロソフィの勉強会で、「塾長と比べると社長は挫折がないように見えますが‥」という質問がありました。

 ん〜、昔からそんなふうな見方よくされますが、思い出してみれば挫折たくさんありましたね。 

 幼稚園には最後の年だけ在籍したのですが、夏バテしてしまって夏休み以降行きませんでした。

 小学校では自分の学区は小さかったので、5年生になってやっと隣の学区の野球チームに入りました。以前よりやっていた同学年とは明らかに差があって6年生の時にライト9番に入るのがやっとでした。市の大会で優勝しましたけど、ずっと引け目を感じながらやってました。

 中学ではバレーボール部に入りましたが、鉄欠乏性貧血を患い、厳しい練習についていくだけで精一杯でした。

 この頃には球技系の運動神経には自信があったんですが、体には自信がないから、高校では物理部に入りました。部室の窓から運動部の練習風景を見て羨ましいと思ってました。

 大学受験はやり残した感がありましたが、父に浪人は許してもらえませんでした。

 社会に出るときも父に直ぐ当社に入ることを要求され、諦めの思いがあったのか素直に従いました。

 まあ、挫折っぽく語れば以上かな。なんだかんだ言ったって稲盛塾長はガキ大将でしたから、比べると挫折なら私のほうがあったような気がします。(おこがましいですが)

 それで今は、同じレールの上を走らないように息子たちを導くのが父親としての使命だと思ってます。しかしあまりに挫折がない少年期では、小人物で終わるようで逆に心配‥。


jumonji100 at 16:51|この記事のURL

2015年01月19日

ノートパソコン、買うか買わぬか思案中

1-DSCF8132

 自宅で使っているパソコンは、ソニーのVAIO VGN−AW73FBという今では珍しい19インチ液晶を備えた重量4キロを超える巨大な機種で、2009年10月発売のモデルですからもう丸5年使っている計算になります。クルマと違って保ってますね(笑)。

 18.4インチ液晶搭載の「Aシリーズ・フォトエディション」というフラッグシップモデルで、確か優に20万円以上したと思いました。

 非光沢のフルHD液晶で、とにかく写真のチェックが安心してできるノートパソコンはこれくらいしかないということで、奮発したのでした。

 ちなみにHDDは1TBなのですが、当時最大容量の500GBのHDDを2基積んで成り立ってます。これって、普通のHDDの2倍クラッシュしやすいということですよね(笑)。

 デザイン優先の弊害なのか、ご覧のようにパーム部分が異常に熱くて左側のラバー部分は早々に浮いてきてましたし、夏はファンを敷かないと使えません。冬は暖かくていいですけどね(笑)。

 その他にも、常時ファンはうるさいし、BDドライブから音楽CDをリッピングするとノイズが入ったりするし、液晶の一部に明るいアザみたいなのが出来てしまっていましたし、先日から内部が壊れたのかヒンジが急に軽くなってしまっています。

 というわけで、リプレースを考え始めたのですが、この液晶からレベルは落としたくないですので、フルHDで出来るだけ大きい画面で、非光沢で、できればIPSで、という条件で探しております。

 でも、OSは次世代のウインドウズ10が秋ごろリリースされるというので、移行作業が面倒だし、それを待つというのも選択肢ではあります。いや、それまでは暫定でコストパフォーマンス重視のパソコンにしようかな‥。

 というわけで思案中。でも楽しい(笑)。


jumonji100 at 12:29|この記事のURL

2014年11月18日

私の名前が保雄になったわけ

1-DSCF7546

 最近誰かが飲んだ席だったかで「十文字さんの名前”保雄”は何だか迫力ないよね」みたいなことを言ってました。

 そうは答えなかったですが、正直私もそう思います(笑)。

 その命名のいきさつを先月の部門合宿中の「会長に訊く」の時間で、母が質問に答えていました。

 生まれた当時、地元の福岡町の町長が国分保男さんで、立派な人だったので候補の一つになったそうです。

 そして3つの候補を安養寺の住職のところに持って行ったら、十文字の流れで上から順にどっしりしてくるので、最後に男を雄にしたのだとか。ふーん。

 で、たった今、母から聞いたのですが、母は「正人(まさひと)」が良かったそうです。

 シンプルなのが好きな私には、正人がよかったなー。サインするのも楽ですしね。でも落選でした。今なら嫁の意見は通るんでしょうけどね。

 あと、ここにメモ書きのように記しておきますが、祖父の代までは、わが十文字家は農家で、米、大豆、麦、ひえ、とうもろこしなどを作っていたようです。

 ちなみに母の実家は金田一村舌崎の大きなリンゴ農家。夏休みに、林檎の木に登って、青いのを取ってきて、塩を付けて食べたのが美味しかったな〜。


jumonji100 at 20:32|この記事のURL

2014年05月05日

ガキの頃の思い出

1-IMG_0017

 私が今住んでいる家と私の実家は同じ二戸市石切所ですが、クルマで10分程かかります。グーグルマップで調べてみたらクルマの道のりで3.7キロありました。距離で1キロちょっとのようですが。

 その途中、実家の手前に今は中国人実習生たちの寮として使っている旧本社と私の生家があります。

1-IMG_0008

 天気の良い休日の昨日夕方、実習生たちが庭の畑に種まきをしてました。おお、頑張ってる。きゅうり、トマトなどは自分たちで作って食費の節約ですね。楽しそうにやってました。

2-IMG_0025

 そんなところに農作業帰りの老夫婦が通りがかり、「やっちゃんが?」と声をかけるじゃないですか。

 「あれま、きよみのお父さん!なんぼになるの?」

 「あんだほのおやずのとう上さ」

 「ん、ということは今年90が!いや、元気だなー」

 「おりゃあ、危険物とかいろいろ資格持ってるすけ、やどってけないが?」

 「んーーー、人手が足りなくなるかもしれないがら、考えどく!」

 というわけで雑談が始まって、あれこれ懐かしい話を聞きました。

 「やっちゃんがKとかSにいだずらされで雪に埋められて動けなくなって泣いでだのを助けだんでえ。やっちゃん、おどなしかったおんなー」

 んー、確かにそういうこと思い出した。忘れてたのに(笑)。近所の友達といえば上は学年は3つ上で、下は2つ下しかいなくて逃げられなくて、ちょうどいじられる対象になってたんだなー。上級生はとにかく怖い存在でした。きわどいこともかなりしてたし。

 楽しい外遊びの数々とともに苦い思い出の連続でしたが、お陰で人間の幅は出来たかな。


jumonji100 at 14:41|この記事のURL

2014年03月08日

20代に一番影響を受けた方

1-IMG_7194

 26〜27歳頃から社内で企画室長というポジションを預かりました。かっこ良く言えば後継者として充電の時期といえますが、社内で誰もやりそうにない雑用的な仕事を見つけてやったり、会社の方針的なことを考えたり、事業計画を取りまとめたり、セミナーに出たり、異業種交流の会等々に行ったりしました。

 高校が盛岡だったこともあって県都盛岡にはよく行きました。で、その際よく寄らせていただいたのが、東日本レジホンセンターの高橋和良専務のところでした。マイツール、MG(マネジメントゲーム)界の大御所として既に名を馳せていて、20代で実質経営トップをやられている和良さんは遠いあこがれの方。

 2歳しか違わないのに私の知らない世界を語ってぐいぐい引き込んでいく。コンピュータのプログラムが出来て、営業トークも出来て、ネットワークがすごくて、経営者としてもぐいぐい引っ張る存在。まさにカリスマでしたね。

 その波瀾万丈の人生は岩手県の経営者なら少しは聞き及んでいるはずなくらいですが、昨日は某金融機関の若手経営者の会の講師として話され、文字通り人の何倍も濃いその半生を披露していただきました。

 実はその2週間ほど前にFacebookでやりとりして「7日の講演は楽しみにしてます」と送ったら「十文字さんに聞かれるのは恥ずかしいので来ないで!」みたいなことが何度も返ってきてかーなり戸惑ったのですが、ここはもうこの会の会員としての権利だと割りきって、めったにない講演(ほとんど断っているそう)を後ろの席で聞かせていただきました。

 そういうわけでここで感想を書くのも何なのですが、もう実際やってきたこと、経験してきたことがすごすぎて、ちょっとずつ披露するだけでもうインパクトが半端ない感じ。自分たちがいかにチャレンジに乏しい経営をしているのかを感じないわけにいかない講演でした。 

 その後、懇親会、2次会、そして2人で3次会と気がついたら午前1時を過ぎてました。 

 私のほうが憧れていたのに、懐かしい話をすると昔のことは逆に私より覚えていらっしゃる。教えてもらうばかりの一方通行と思ってたら、私の赤いユーノス・ロードスターに乗せてもらって大いに刺激を受けて、その後ポルシェボクスター買って今に至っているというじゃありませんか。嬉しいですね。改めて、クルマって周囲に影響を及ぼすんだと再認識。

 和良さんは大震災発生で、縁のあった陸前高田に移住を決意。以前の事業で成功を収めたお金でドカンと自宅と工場を作ったということで周囲からは怪訝に思われてしまうこともあるようですが、並の尺度に収まらない方なので、きっと今やっている食の世界でもすごい結果を残してくれるのでしょう。まあ、誰もがそう思っているのでしょうけど。


jumonji100 at 11:44|この記事のURL

2014年03月02日

懐かしのメニュー「ほうれん草とじチーズのせ玉子焼き」

4-P3020601

 本日日曜の朝食のおかずは、「ほうれん草とじチーズのせ玉子焼き」。

 これは学生時代、上池袋2丁目に住んでいた時に、六つ又交差点と(今はなき)踏切の間にあった定食屋さんでよくご馳走になっていたものです。その頃、牛肉、豚肉は吹き出物が出るので敬遠していまして、この定食メニューをよく注文しました。550円か650円位じゃなかったかな。

3-P3020604

 作り方は簡単。卵を2個ボウルに割って、その中に冷凍のほうれん草をそのまま‥、いや本来は湯がいたほうれん草を入れるのでしょうけど、もしくは少なくとも冷凍のほうれん草も電子レンジで解凍したものを入れるのでしょうけど、寝ぼけてて省略(笑)。

 フライパンに油を引いて、ボウルからさっきのをどひゃっとぶちまけます。卵を3個割るか、フライパンが一回り小さければキレイに円形にできるのでしょうけど、スライスチーズを2枚載せることを考えると、まあ、こんなもの(笑)。

2-P3020612
 
 出来上がったらソースかケチャップを掛けて、いただきます。今日はいわて生協さんで買った甘めのソースでした。

 私にとっては30年前の懐かしのメニュー。なおかつ、朝、納豆を食べない時の裏メニューの主役。目玉焼きはあまり好きではないし、普通の卵焼きでは寂しいし、卵料理といえばこれです。


jumonji100 at 08:46|この記事のURL

2014年02月16日

MG100回帳

P2160491

 自宅のカードを保存しておく箱の一番下あたりに残っていたのがこの「MG100回帳」です。3つ折りになっています。

 MGとはマネジメントゲームと言い、西順一郎先生(西研究所代表)が作ったボードゲームです。モノポリーみたいなもので、より経営者のやるべきことが分かり、決算を毎期やることで会社の仕組みがわかるという優れたツールです。

 5期の決算をやるのに丸2日間を要しますから、100期といえば40日かかるわけです。25回で「経理が分かる」、50期で「経営が分かる」、75期で「戦略が分かる」、100期で「人間が変わる 戦略マン バンザイ!」とありますが、私は未だ36期です。

P2160489

 これを見ていると懐かしいですね。最初が8/22と書いてありますが、おそらく1987年8月22日のことでしょう。同じ二戸の中田先輩と、北上のN君とで深夜運転を交代して走って秋田経由で新潟の会場まで行った記憶があります。

 9/23とあるのはそのすぐ後に二戸で中田先輩主催でやったということでしょう。

 その後は1989年から90年にかけての3回は中田先輩が西先生の奥様の佳恵先生を二戸に招いての開催。CF-MGというのは「キャッシュフローMG」という亜流のMGに参加した時のもの。90/7/1とあるのはJCでやった時のではないかな。そして、2007年には武蔵野さんの実践経営塾にてやったものです。

P2160493

 さて、MGとともにセットで全国の若手経営者仲間に浸透していたのがリコーのパソコン、「マイツール」でした。 これは表計算ソフトとハードがセットに成ったもので、1セットで100万円はゆうに超えていたものです。

  エクセルやロータス123が浸透する前に、ソートやグラフ化などの機能が評価されて経営戦略に使えるパソコンということでだいぶ浸透したはずですが、エクセルの時代になってウインドウズのフリーソフトとして残りましたが、既にサポートは終了しているようです。

 マイツールには全国組織の愛好会があって「MUG(マグ)」(=マイツールユーザーズグループ)と呼ばれておりました。この会はこのコンピュータの使い方をベースに、MGはもとより、メンタル面の研修などあれこれ流行がありました。

P2160495

 その一つとして、MGの関連で「BST」(ビジネス感性トレーニング)というプログラムがあって受けた証がありました。残念ながらこれはさっぱり記憶にありませんね。

 MUG関係で20代から30代前半にいろんな人に知り合えましたし、経営の掴み方、戦略的思考を大いに学んだと思っています。お金はかかりましたけど、今に至る基礎になっているような気がします。 
 
jumonji100 at 10:04|この記事のURL

2014年01月03日

小心者こそがリーダーにふさわしい

DSC00057

 年末に本棚の断捨離をやっていましたら、小学校、中学校の頃の通信簿を入れたファイルが出てきました。背にタイトルを入れてなかったので、こんなところに大事なものがあるとは、すっかり忘れていました。

 見ると面白いですね。小学校2年の時は「文字を正しく整えて書く」の欄が3学期とも◎なのに、6年生の時には3学期とも☓になっている。私の字は漫画字といいますか、子供の頃はゴシック体にすごく惹かれてて、筆文字が大嫌いでしたからね。

 所見では、小学校の5年生くらいまでは落ち着きが無いけど、学級委員とか班長とかの小さい組織でがんばるタイプだったようです。しかし6年生から中学にかけては「消極的」という言葉が一貫してよく書かれていました。この頃は鉄欠乏性貧血を患っていたことも影響してたのかな。

 そういえば確かに消極的なタイプだったように思います。無口だった時期があったような気がします。というか、もともとそういうタイプだったのかも。そんな人間が今、無理して会社のトップに立っているような気がしないでもないです。

 稲盛塾長は、「小心者こそが経営者にふさわしい」といったことを繰り返し述べられておりますが、その言葉を信じ込むしかないですね。


jumonji100 at 09:47|この記事のURL

2013年11月29日

九戸城包囲の図

九戸城の図

 これは確か二戸市歴史民俗資料館に展示されていた地図だったと思います。

 豊臣秀吉の天下統一に抗する最後の砦となった九戸城。その最後の戦いは1591年の「九戸政実の乱」と称されていますが、包囲網の群の配置がこれです。

 私の生家である穴牛地区(下)から見れるように本来の図を90°回転させてみました。この図で言えば浅野長政の「政」の字のあたりが私の生家。今家族は「穴」の字の辺りに住んでますが。

 Wikipediaの「九戸城」と「九戸政実の乱」のページを読んでみました。歴史オンチな私ですが、ここに出てくる苗字で今私の周囲にいる同姓の方、昔の同級生とかを思い出してワクワクしました。

 九戸氏の残党への警戒から、秀吉の命によって居残った蒲生氏郷が九戸城と城下町を改修し、南部家の本城として南部信直に引き渡されて三戸城から居を移し、九戸を福岡と改めた。しかし領民は九戸氏への思いから九戸城と呼び続けた。

 蒲生氏郷と浅野長政は信直に本拠地を南方に移すことを勧め、これが盛岡城築城のきっかけとなった。

 
なるほど、復習になりました。
 
jumonji100 at 07:00|この記事のURL

2013年11月15日

21年前のまちづくり論

DSCN0493

 11日月曜日、コーディネーターの委嘱を受けている先である岩手県庁の商工労働観光部のK氏が打ち合わせのために来られました。

 来週に迫ったセミナーのパネラーとして想定問答を受けたのですが、その中に「岩手県北の食産業を何(というキーワード)で振興していけばいいんでしょうか?」というものがあり、言葉に詰まってしまいました。

 「勉強しておきます」と答えておきながら、頭にあったのは私が編集長として1992年に制作して県の出先機関である二戸地方振興局に提出した「カシオペア構想の展開提案書」です。

 これは当時、二戸地方振興局長が「カシオペア連邦構想」を打ち出して、それに呼応する形で二戸青年会議所(JC)の社会開発委員会が外に飛び出し、「カシオペアアカデミー」という団体を設立して、振興局の予算を活用して「カシオペア連邦建国祭」「カシオペアラリー」「劇団カシオペア座公演」などを実施したところ、資金不足に陥ってしまい、そこに「カシオペア構想提案書を作成したらその分出します」という振興局のはからいがあって年度末ぎりぎりに提出したものです。

 何人かのプロジェクトで66ページになるこの冊子を作ったのですが、見ると記憶が蘇ってきました。地元の資産を総ざらいして、あるキーワードに昇華させる内容。このあたりは盛岡の異業種交流会NBNを主宰する故久木田禎一氏から学んだものでした。

 21年前とさほど変わってない岩手県北。いや順調に過疎化を辿っていると言えましょうか。そこをブレイクするに至るコンセプトとはなり得ないかもしれませんが、21年前のコンセプトはそんなに古びてませんでしたので、来週はそのまま引用したいと思います。21年前の自分に感謝。
 
jumonji100 at 08:44|この記事のURL
記事検索
yasuoj@Twitter
4歳頃かな‥

プロフィール
昭和38年4月9日生
岩手県二戸市出身
牡羊座 血液型O型

1979 二戸市立福岡中学校 卒業

1982 岩手県立盛岡第三高校 卒業

1986 國學院大學法学部法律学科 卒業

1986 (有)十文字養鶏 入社

1987 イギリスの同業者研修(7ヶ月)

1991 CI導入(株)十文字チキンカンパニーに グループ7社の代表取締役社長(27歳)

1993 岩手めんこいテレビ番組審議委員(6年間)

1995 食鳥業界同友会「21世紀の会」初代会長

1998 (社)二戸青年会議所 理事長(1年間)

1998 盛和塾盛岡に入塾

2000 稲盛経営者賞 製造業第一グループ第3位

2002 (株)十文字チキンカンパニー 代表取締役社長

2003 岩手県チキン協同組合 理事

2004 (社)日本食鳥協会 理事(8年間)

2005 岩手農協チキンフーズ(株) 代表取締役社長

2007 めんこい協同組合 代表理事

2007 岩手県PTA連合会 副会長(1年間)

2010 日本チャンキー協会 会長(4年間)

趣味…読書、カメラ、クルマ、オーディオ、スポーツ観戦

特技…一輪車

スポーツ…ゴルフ、スキー

子供の頃のスポーツ…野球→バレーボール→テニス

子供の頃の夢…漫画家→工業デザイナー→オーディオ評論家→設計士

座右の銘…やらなかったのは失ったのと同じだ

食べれない…そば、蟹、マスクメロン、刺し身、ニンニク

飲めない…コーヒー、紅茶、烏龍茶、ビール、日本酒、オーガニックでないワイン

2男1女の父
岩手の天気
アーカイブ
携帯でも御覧ください
QRコード