昭和9年(1934年)5月27日に、父 亥太郎 母 スヲの長男として生まれました。
終戦後は軍国主義から自由主義経済の時代へと移行し、農業の「稼ぐ」という事も肉体的に働くということでなく、経済的に儲けなければならないという時代への変化を肌で感じたのを、今でもよく覚えています。
最初は20〜30羽ほどを自宅で一人で飼育していたのが、結婚し妻と二人で飼育しはじめ、従業員を雇いはじめ、近隣に農場を建設し飼育を委託しはじめと順調に事業が大きくなっていきました。
60歳の頃には約2,000人の従業員をかかえる企業までになったのは、私一人の功績ではなく、私自身運が良く、たくさんの人と良いめぐり逢いができた事からだと思っています。
特に、創業当時から製造部門を担当していた東山光夫元工場長、久慈工場を建設する際に大変活躍してもらった矢部公輔元専務、資金調達に大いに貢献してくれた大庭吉明元専務には大変感謝しています。
そのほか、16歳から鶏に携わり、人数を数えたことはありませんが、岩手県北・青森県八戸市周辺などで、ざっと1万人を超える皆様に働いて頂いたり教えて頂いたりしたことで今日があると思っています。心より感謝申し上げます。
来年創業75周年を迎えますが、お陰様で夫婦揃って心身ともに健康なので、今後も皆さんの活躍を見るのを楽しみにしています。
皆さんの力でこの会社はますます伸びていくと確信していますので、安心してこれからも仕事をしていって下さい。