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 本日の私ども�蟒淑源�チキンカンパニーの創業75周年記念祝賀会に、大変お世話になっております皆様とOB先輩方に、お忙しい中お集まりいただきました。ありがとうございます。

 また、創業者十文字健助の91歳の誕生日をこうして皆様と迎えられます事、本人が自身の健康管理に注力してきたことに感謝するとともに、私自身少し親孝行できているかと感じております。

 世の中75周年に到達する会社はたくさんあっても、創業者が健在で迎えられる会社はなかなかないのではないでしょうか。

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 そもそも健助は中学生の時体調不良で入院して、食事指導で卵が素晴らしい食品だということで惚れ込み、高校に行かずに、親に反対される中、農家の長男の新事業として鶏を飼い始めたのがスタートです。

 採卵養鶏でそれなりに同級生よりリッチな独身時代を送ったのち、25歳で結婚。

 その後肉用に「抜きオス」を飼育したことでより経済的な成功をおさめ、さらにアメリカからブロイラーが導入されるとすぐさま飛びつき、その後時代の波に乗って業界の大手の一角にのし上がっていきました。

 穀物を扱う大手商社さんや地方の雑穀問屋さんが母体となる同業者が多い中、農家からスタートして、大企業、大組織の系列に次ぐ4番目の数量を、国産チキン業界で担っているという出で立ちが、当社ならではの独自性かと思っております。

 その源泉となったのは何か。健助自身が「よく稼ぐ」人だったということではないでしょうか。

 当時の私の幼心に刻まれた、大人の会話に出てきた、「誰それはよく稼ぐ奴だ」というセリフ。

 稼ぐとは、辞書で調べると、精を出して働く、一心に働く、働いて金を得る、と出てきますが、お金を得る前の段階の、精を出して一心に働く、というニュアンスで使っていたのだと思います。

 健助自身が見本のように汗を流して稼ぐ。そして稼ぐ人を見つけては信用して任せる。その噂が広まり、人が集まり、力を貸してくれる人がどんどん増えていった。

 本人はただ働いて儲かるのが楽しかったと言いますが、そういう構図ができていたはずです。

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 その後、今に至るまではもちろん順風満帆ではありませんでした。

 決算期変更もありこれまで51期決算期がありましたが、グループ連結ではそのうち9期赤字でした。

 バブルがはじけ輸入チキンの台頭で、国内生産が1987年の7.45億羽から2001年5.67億羽へと23%減少した時期がありました。

 1994年の当社は、2期連続の赤字を経て、更にもう1期赤字になれば債務超過になったかもしれません。

 退職勧奨を含む緊急のコストダウン策を実践することでその時期を何とかしのぎ、その後少々落ち着いた1999年には私に代表取締役副社長として実権を渡していただきました。

 厳しい時代を乗り越えた経験をバネに、甘ちゃんの私でもその後何とか経営者としての務めが果たせたのではないかと思います。

 そんな時代を、我慢してくぐり抜け、当社を存続させてくれた先輩方、ありがとうございます。

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 振り返れば75年、およそ4分の1世紀、25年ずつの節目がありました。

 最初の25年は健助の個人経営の時代。次の25年が法人としての組織化の時代。

 そしてこの25年は、内外の力をお借りして、地方の中堅企業として整えていった時代と言えましょうか。

 創業100周年に向かっての次の25年は、地方の人口減の中でのサバイバルが問われる時代でしょう。

 消滅すると言われている地元自治体と当社の存続を両立すべく、必死になって喰らいついていきます。

 かつて輸入チキンに押されて国産チキンは無くなるとまで言われました。予想なんて当てにならないものです。

 当社の原点は「こんなに健康にいいものは、たくさん作って、もっと喜んでもらいたい」という健助の想い。

 そんな想いから始まった会社として、誇りをもって毎日の安定供給をこれからも続けて行きたいと思います。

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 ある社員が言いました。私が40歳の時の当社の羽数は4000万羽。私が60歳の時は6000万羽。

 62歳の今6200万羽です。プレッシャーになるので夢に日付はつけませんが、長生きして1億羽を見届けたいものです。

 ひきつづき皆様のご支援ご鞭撻をお願いしまして、私からの挨拶とさせていただきます。本日はありがとうございました。