平成10年に角川書店から出された「岩手県姓氏歴史人物大辞典」に十文字についての解説が載っていました。というか、出典は我が家の家伝からだそうで、我が家の世代間のコミュニケーションが怪しくなっているのかもしれません(笑)。
天性12年、豊臣秀吉の全国平定最後の戦いとなった奥州二戸の九戸政実との戦いの時、秀吉方の馬丁として働きそのまま当地に居住したという。
先祖が馬丁をしていたことから家紋を馬の轡(くつわ)の形をとって丸に十の字とし、この家紋から十文字を名乗ったと伝える。
判明する本家の系譜は、市助−三九郎−辰吉−三郎−亥太郎−健助−保雄と続く。
寺子屋を開いた三九郎、村会議員を務めた辰吉をはじめ代々村の中心的存在だった。
‥などとありました。村と言っても穴牛は20戸あるかないかですけどね。
父は6人兄弟の長男として、ちやほやされて育ったと聞きました。私もボンボンと言われたことがありました。しかし、祖父は浮ついたことは一切しゃべらない人でしたので、その先の祖先のイメージが湧かないのが正直なところです。