
私の経営の師匠である稲盛和夫塾長は、「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉に代表されるように、純粋な動機であることを求めています。
もうひとりの経営の師匠、小山昇さんは「結果良ければ、動機が不純でもいい」と全く逆の言葉を使います。
私は現実主義者だからか、これだけのことなら小山昇さんのほうに賛同したくなりますが、稲盛塾長も実は非常に現実主義者であり、本当に成功したいなら自分に言い聞かせる意味でも私心を無くするよう心がけなさいと言っているんですね。
さて、この本「偽善のトリセツ」は今年はじめ、ある会合の前に時間があったので本屋さんで見つけたものですが、偽善について歴史的な見地からとか、著名な哲学者等の考え方が掘り下げてあってとても面白かったです。
社会の風潮によって、偽善でもよしとされる時代とそうでない時代があって、大正時代と今は偽善は駄目なんだそうです。今はネットの影響で理想主義的な厳しい時代ということでしょうか。
ネットだから発言者の現実の姿が見えなくて、「この世の中には完璧な人間はいない」という現実を踏まえきれてないということなのかもしれませんね。