
大庭先輩のご霊前に、十文字チキンカンパニー社員一同を代表して、謹んでお別れの言葉を申し上げます。
大庭さんが当社に入社されたのは昭和51年のことでした。時はまさに高度成長期。戦後アメリカより持ち込まれたブロイラー産業が急速に普及していた時期であり、当社創業者、十文字健助の金庫番として最初から経営の要所を担って頂きました。
昭和58年には常務になられ、先に入社していた矢部専務と健助社長と3人でトロイカ経営と言われ、当業界では珍しい一農家から始まったという脆弱な基盤を支え、健助社長の方針であるテンポの早い資本投下を影で支えていただきました。
昭和63年にはナンバー2の専務になられ、管理部門だけでなく農場や工場の現業の仕事も見ていただくとともに、当社にとってはエポックメイキングとなる、当時の岩手県経済連さん、全農チキンフーズさんの岩手でのブロイラー事業の継承の話をまとめ上げ、平成元年には岩手農協チキンフーズ株式会社を立ち上げることが出来ました。
その後、輸入品の台頭で当社は瀕死の状態に遭いました。それまで急激に規模拡大してきたことから、財務は逼迫しましたが、当時金融機関の皆様に見捨てられずに今に至っているのは、大庭先輩の明るく率直な人柄と説得力ある仕事ぶりがあってのことと確信しております。
その後、当社を健全な状態に回復させ、次世代となる私が社長になると同時に経営の第一線を退いていただきました。
その頃に私が役員会で「現場のことがまださっぱり分からないのに、社長やっていいのだろうか?」と発言したときに「そんなこと言ったら、オレだって今でも分かんないことだらけだよ」と言ってくれたことでどれだけ励まされたことでしょうか。
当社に入る前からこの業界に携わり、また当社を卒業されてからこの業界でご活躍されても、あのウイットに富んだ言い方は変わらなかったでしょうけど、芯にあるのは謙虚さだったような気がしております。
晩年は日頃から酸素ボンベが欠かせないと聞こえてきており、心配しておりましたが、亡くなるまで周囲を気遣い容態を知らしめなかったと聞いております。
タバコを好むと同時に、宴席ではジャックダニエルを持つ姿がトレードマークでした。そういえば、「太く短く生きたい」と言われていた記憶があります。
ブロイラー産業の顔の一人として、周囲の人に尊敬され、愛され、見事に太い人生を歩まれた姿は、私にも、当社社員にも、いや業界中に焼き付いていることでしょう。
おつかれさまでした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。さようなら。
(写真:昨日、盛岡の告別式会場までの往復の車中で聞いた、大庭さんから社員にプレゼントされた、岩手県内のジャズメンによるCD)