
昨日はめんこい協同組合(代表理事は私)のスタッフと一緒に、当社の県北工場、久慈工場へ行き、働いている社員たちに「ごくろうさま!」「だいじょうぶだった?」などと声をかけて回り、アフター5にはそれぞれの中国人実習生の寮4箇所を巡回してきました。
お邪魔すると、みな明るい笑顔で来訪を喜んでくれましたが、全員集合してもらって今回の地震、津波、原子力発電所の事故のことに話が及ぶとさすがに神妙な面持ちに。
ピークは過ぎたようですが、今回の災害についての中国での報道は日本では考えられないくらい過激で極端だったとか。まあ、日本以上に競争社会ですからマスコミも加熱したんでしょうね。
ほとんどの実習生がパソコンを持ってスカイプ(テレビ電話)しているので、直後の4日間は工場が止まっていたこともあり、母国の家族から「帰ってこい」と言われ精神的にも参っていたようです。
しかし16日水曜日から工場が稼動し始まってからは日本人が平静を保っていることもあって、彼女らもだいぶ落ち着きを取り戻してきています。でも不安が残るのは無理も無いことです。
「今後、原発について予断が許さない状況に陥れば、一緒に逃げよう。私は自慢じゃないけど誰よりも逃げ足は早いから!」と伝えてきました。
まあ、東京−福島原発間が距離にして200キロ。それに対して、当社工場エリア−福島原発間が300キロはありますから、東京の様子を見てからでも遅くはないですが。
(写真:久慈の「琥珀寮」で中国人実習生たちの手料理をごちそうになりました)