田中舘愛橘

 田中舘愛橘(たなかだてあいきつ)博士は1856年生まれの科学者で、文化勲章や勲一等旭日大授章のみならずフランスの同等の勲章を受章したほか、22年間貴族院議員としても活躍して95歳まで生きたという郷土の先人です。

 私の子供の頃の家の玄関には、田中舘博士の肖像画が飾ってありました。ですから、私にとっては千円札や1万円札の肖像画より古くから、脳裏に焼き付いている顔です。

 髭を生やしていたので、その肖像写真では表情の印象があまりなかったので単純に科学者というイメージでしたが、こうして小5の長男の教材としてもらってきたのを読むと、技術者にとどまらず芸術にも政治にも才能を発揮したようです。

 また、やんちゃというか正義感が強くて、ローマ字が普及しだしたときに、まちまちな綴りで混乱していたのを見かねて「日本式」を考え出しその普及に努めたとのことです。

 その名残で、二戸市の旧町名の福岡町はFでなくHでHukuokaとなっていますし、甲子園10回出場の福岡高校もHマークとなっているのですね。

 レントゲン博士と親しく、またキューリー夫人やアインシュタイン博士とも親交があったということです。

 ‥とまあ勉強になりました。活躍して95歳まで生きるなんて、うらやましい人生ですね。