これは確か二戸市歴史民俗資料館に展示されていた地図だったと思います。
豊臣秀吉の天下統一に抗する最後の砦となった九戸城。その最後の戦いは1591年の「九戸政実の乱」と称されていますが、包囲網の群の配置がこれです。
私の生家である穴牛地区(下)から見れるように本来の図を90°回転させてみました。この図で言えば浅野長政の「政」の字のあたりが私の生家。今家族は「穴」の字の辺りに住んでますが。
Wikipediaの「九戸城」と「九戸政実の乱」のページを読んでみました。歴史オンチな私ですが、ここに出てくる苗字で今私の周囲にいる同姓の方、昔の同級生とかを思い出してワクワクしました。
九戸氏の残党への警戒から、秀吉の命によって居残った蒲生氏郷が九戸城と城下町を改修し、南部家の本城として南部信直に引き渡されて三戸城から居を移し、九戸を福岡と改めた。しかし領民は九戸氏への思いから九戸城と呼び続けた。
蒲生氏郷と浅野長政は信直に本拠地を南方に移すことを勧め、これが盛岡城築城のきっかけとなった。
なるほど、復習になりました。