きまじめチキン日記

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2011年09月

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 クルマ好きですから、アメリカ大陸に行ってバスで移動の最中は、クルマを見て、よく言われることを復習して考えてしまいます。

 道がまっすぐだからコーナリング性能は要らないんだな。狭い道がないから車幅が大きいんだな。人の体格が大きいから小さなクルマがないんだな。周囲がデカイ車ばかりだからコンパクトカーは貧素に見えてしまうんだな。繊細というより大らかなアメリカ人だからクルマもそうなっちゃうんだな。

 しかし、アメリカだと直線的なデカいクルマがかっこよく見えますね。フォード・エスケープはタクシーに使われているけど、角張っていてほんとにかっこいい。シボレー・トラバースはアウディQ7より大きくて、より鯨みたいな柔らかい曲線がいいと思いました。

 また、日本車では我がスカイラインクロスオーバー(インフィニティEX)の兄貴分のFXが思ったより大きく見えなくてさすがにカッコいい。またトヨタ・ヴェンツァは直線的でタイヤが大きくて安定感があってシャープに見える。

  これらは日本では売ってないんですよね。大きいから売れないと見ているんでしょうね。惜しいな〜。

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 このブログにずっとお付き合いいただいている皆様は感じていると思いますが、昨年今頃から海外に出ることが多くなっています。数えてみますと、この1年で9回出国したことになります。

 社長業は10年を過ぎ、マンネリを回避するためにネタを仕入れておこうと思いたち、そのネタを海外に求めているわけですが、さて、だからと言って今のところ劇的な思考の変化は‥ははは、実感できていないですね! 年かな(笑)。

 それでもチキンというキーワードを元に世界を駆けまわることで、井の中の蛙に陥らないようにできればと思っております。

 相手も誘いやすいし、こちらも「お話ありがとうございます。それ、行きます!」という軽いノリで出かけられるのも40代までではないかということで、50歳の誕生日を迎えるまでの1年半はまだまだ行きますよ〜。

 移動の疲労とか時差ボケとかを考えると、海外に出ることは体をいじめることだで、日本にいるのがホントに快適だと実感して来てはいるんですけどね。

(写真:ミューヨークのメトロポリタン・ミュージアムで)

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 流通視察ツアーの2日目、25日はニューヨーク市内のホテルから、上流階級が住むというコネチカット州へ行ってそこからスタート。

 日曜日ですから、教会に出掛けている時間とかで、ギネスブックにも載ったというスチュー・レナーズでもお客さんがまだ少ないかもとガイドのTさんは言ってましたけど、いやいや繁盛してましたね。

 一方通行で、バックヤード(製造工程)を見せ、しかも子供の目を留めるユーモラスな工夫がそちこちに。「買い物は楽しくなくっちゃ」という言葉がぴったり当てはまる、エンターテイメントあふれる店に感動!

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 コネチカットではもうひとつ、品数豊富でかつディスカウントのフェアウエイへ。要するに、2つの特色をそのまま2つの売り場に展開した店ですね。

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 ニューヨーク市内に戻って、オーガニック小売店の最王手ホール・フーズへ。ここはタイム・ワーナーセンターというビルの地下にあるんですよ。東京で言えば銀座ソニービルの地下に食品売り場がある感じか?

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 フード・エンポリアムは都心の高級スーパーです。成城石井とかかな?

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 トレーダー・ジョーズはホール・フーズのライバルで、今大人気とか。

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 私もこの店で買ってみましたが、狭い店なのにレジに30mくらいの行列が。しかしレジ自体は15機だったか設置されていてそんなに待ちません。Tさんの言うように、私の当たったレジの人が非常にいい感じで驚きました。

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 最後はイタリアから進出してきたイータリーという店。店舗の中で食べられるんですけど、どちらかというとレストランのお飾りで食品が売っているという感じ。なかなか斬新でカッコイイけど、日本にも進出して苦戦中とか。お客さんがイタリア人でないと様にならないかも(笑)。

 というわけで、2日間でみっちり12店を回ってきました。仕事とはいえ、楽しかったですね。

 そして「とにかく見た目が大事」という印象が強かったですね。どれも店の個性がプンプンしてきます。しかし、あちこちで食べてもみましたけど、やっぱり味は一部を除いてそんなに期待はしないほうが(笑)。

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 さて、いよいよツアー本来の目的の流通視察。せっかくフィラデルフィアまで来たのに、ダウンタウンに寄ること無く空港そばのホテルに泊り、24日朝からバスで寄り道しながらニューヨークに向かって行くことに。天気はなんとかもってくれました。

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 聴くところによりますと、日本からの流通視察ツアーの定番が、このフィラデルフィアからニューヨークにかけてのコースだそうで、同伴していたコンサルタントの方は大体1年に一度は東海岸を視察に来るそうです。

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  今に至るアメリカの流通の栄枯盛衰物語を、予め渡されたペーパーと現地ガイドの方の話で学んでから見に行くので非常に効率的に頭に入って行きます。

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 もちろん今でも食品小売の20%を占めるというウォルマートの存在は圧倒的ですが、いま急上昇中のウェグマンズの店内に入ると、スパーマーケットとデパ地下とレストランがうまく融合して、たしかに楽しそうです。土曜日ということのあってか圧倒的に賑わっていました。

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 また、ドイツから来た新興勢力のアルディがウォルマートを価格の安さを過去のものにしようとしているなどというせめぎ合いがあってワクワクしますね。

 大きな声で日本語で解説するガイドさんに案内された20人もの男たちはどう考えても異様に見えるでしょうが、ガードマンに笑顔で挨拶されたりして、割とスムーズに視察できました。アメリカの懐の深さを感じ入ったしだいです。

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 いわて生協さんのアメリカ流通セミナーに参加してカナダにやって来ました。

 成田からデトロイト経由でカナダのトロントへ、乗換えに2時間あったのですが、なんと1/3ほどの方が乗り遅れて2時間遅れで到着というアクシデントがありました。アメリカの空港は噂通りやたら時間がかかります。

 そしてトロントからバスで1時間半ほどでナイアガラの滝のそばの近くまでやってきて1泊。23日朝、まずはバスで水力発電所や懸かっている5本の橋を含むこのナイアガラの滝周辺を視察。

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 そして、Maid of the mist号に乗ってナイアガラの滝に接近。 近付くにつれて霧というより横殴りの雨の感じ。

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 そのために使い捨てのカッパを着て乗るんですね。船の先頭に乗っていた私も避難。こういうときの逃げ足は早いです(笑)。

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 これは我々の乗った船の後の便です。

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  船を降りて自由時間になったのですが、私とS食品の専務で国境を超えて反対側に行ってみることに。これは橋の上からの眺めです。

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 1ドル払って展望橋に上がったら、これがなかなかいい眺めです。

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 さっき乗ったMaid of the mist号も見えます。

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 かなり近寄った所。水量に圧倒されますね。

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 落下直前の水は澄んでいて、岩の地肌のエメラルドグリーンが研ぎ澄まされた色です。

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 これは滝の直前にある渡ってきた橋ですが、その水量に圧倒されます。

 2度行ったイグアスの滝より小さいということで、わたし的にはあまり楽しみにはしていなかったのですが、そこそこ楽しみました。

 さて、時差ぼけも解消して、明日からは小売店視察です。

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 昨日は
久慈渓流の崖崩れが起きないかちょっと心配しながら久慈工場へ。(案の定、その後、道路の陥没で一部通行止めになったようです。)

 予定されていた鶏霊祭は小雨のタイミングだったので、前列の我々は傘をさして、社員の皆さんはカッパを着て参列しました。

 終わってからの私の挨拶の要旨は下記の通りです。

 震災から半年が過ぎました。今考えると当社は関係者の努力であっという間に復旧しました。しかしながら被災された社員の皆さんや御家族の方々、地域の方々にはまだご苦労されていらっしゃる方がいらっしゃると思います。そんな方々が一筋の光明を見出せるようににるには、当社は盤石な形でいられることが大切だと思っております。

 前回の鶏霊祭からの1年間は本当にたくさんの出来事がありました。当工場はいよいよ1日6万羽の大台に乗りましたし。年末年始の大雪による停電、それに震災で飼料供給が滞り、大きな鳥の時もありましたし、非常に小さな鳥を処理したこともありました。

 農家の皆さんは、そんな大変な環境の中で、1羽でも生かそうと大変ご苦労されました。そんな鳥が工場に運ばれてきました。そして、みなさんがいい仕事をしてくださったおかげで、震災以降、当社の商品はこれまでと同様お客様にご愛顧いただいております。

 引き続き、気持ちを込めた良い仕事をして周囲に報いていきましょう。

 ところで、皆さんご承知のように、大きな労災事故がありました。皆さん気をつけていらっしゃると思いますが、これまで以上に怪我が無いように、最優先でお願いしたいと思います。

日本にいては見られない、NHKの海外向け放送「NHK World TV」の震災に関する番組「For the recovery」で当社の久慈工場と中国人技能実習生のことが取り上げられました。

 3分強の構成を、支援部総務人事課のU君が日本語訳してくれましたので、載せさせて頂きます。

【映像:久慈港 〜 久慈工場外観】 

The city of Kuji in Iwate Prefecture, 
this chicken processing plant situated about 5 km from the coast 
it escaped from the Tsunami, and was able to resume operation in 3days after the disaster. 

岩手県久慈市、 
この鶏肉加工工場は海岸から5km内陸にあります。 
津波の被害はなく、震災から3日後には工場を再開できました。 

【映像:工場解体ライン】 

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Many of the workers at this plant are Chinese nationals, who have common trainee (?) 
Many of the Chinese trainees working in the Tohoku regions have gone back home since the March 11th disaster. 
But most of the 160 trainees working at this plant have opt to stay. 

工場の多くの従業員は中国人で、技能実習生として働いています。 
東北地方で働く多くの中国人実習生は、3月11日の震災後母国に戻っています。 
しかし、久慈工場の160名の中国人実習生は日本に残る決断をしました。 

【映像:圃田工場長のインタビュー】 

I'm really grateful that be able to recover thanks to the trainees. 
Things have really gone smoothly because they have chosen to stay. 
If they didn't, this plant (?) only be able to work at about 50% capacity. 

中国人実習生のおかげで、工場を再開できとても感謝しています。 
日本に残ってくれたので、再開へのプロセスがとてもうまくいきました。 
もし帰ってしまったら、久慈工場は半分の能力でしか稼働できなかったでしょう。 

【映像:通勤バス】 

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The earthquake struck were the trainees at the work. 
It knocked out the power, and broke the factory to (the stance) to. 
Everybody to cover (at) the domitory. 

地震は仕事中の中国人実習生を襲いました。 
停電が発生し、稼働できなくなりました。 
実習生は寮に戻り、避難しました。 

【映像:Jinzhu Fuさんのインタビュー】

The earthquake struck out of the (blue) while we are at work. 
It was really scarely because I'd never experienced anything like that before. 

My family back in China have them wanted in me to go back home, because they aren't (all) () after the situation here. 
And they were worried after seeing all the earthquake recoverage on TV.
But I told them that I was safe here, and that we want to (affected) at all. 

仕事中に地震に襲われるとは思ってもいませんでした。 
初めての経験だったので、とても恐ろしかったです。 
中国の家族からは、私の状況を心配して戻ってきてほしいと言われました。
中国のテレビでも日本の津波の様子が放送されて、心配だったようです。 
でも、私は大丈夫だから日本にこのまま残りたいと伝えました。 

【映像:中国人寮を訪れる弓削伸子主任】 

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Nobuko Yuge, provides the emotional support for the trainees. 
Nobuko is the personnel officer. 
She helps the trainees (settle) (inter) life in Japan, and looks after them in various ways. 
Nobuko has tried to spend as much times as possible with the women to help dispel their anxieties. 

弓削伸子さんは、実習生の心のケアを行っています。 
伸子さんは、会社の総務担当者です。 
彼女は日本で暮らす実習生について、いろいろな面でサポートしています。 
伸子さんは、実習生の不安を和らげよう、できるだけ彼女たちと一緒に過ごそうとしました。 

【映像:当社支援部研修生担当の弓削伸子主任インタビュー】 

I'm not just the personnel officer. 
I've honestly tried to be in mother at this women. 
And they've gradually come to place they just trust in me. 
My presence can help alleviate their worries. 
And glad that I've been able to form this kind of relationship with the trainees. 

私は、「総務担当者」ではなく、彼女たちの母親になろうと思いました。 
そうしたら、次第に彼女たちも心を開いてくれて。 
私の存在が彼女たちの不安を和らげたのかもしれません。 
彼女たちと信頼関係を築くことができて、とっても嬉しいです。 

【映像:再びJinzhu Fuさんのインタビュー】 

caption 『Jinzhu Fu describes why she has decided to stay..』

I believe are labor in union factory and the people here. 
That the major reason. 
The union on the factory was soon evacuate us in guide to this safety. 
And the event is dangerous, so something else happens. 
That cause me out of peace of mind. 

キャプション 『Jinzhu Fu さんが日本に残った理由は?』

工場で働く日本人と、私たち実習生は同じだと思ったからです。 
それが一番大きいですね。 
工場の人はみんな一緒になって避難しました。
もちろん、地震は危なかったし、とんでもないことが起こったと思います。 
地震直後は、平常心を保てなくなりましたけどね。 

【映像:中国人実習生たちの談笑】

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The disaster has helped to establish grater trusts between the factory and the trainees from China. 

震災によって、工場と中国人実習生との間に強い信頼ができたようです。
 

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 今日の茨城ゴルフ倶楽部でのNハムさんのゴルフコンペ。チキン業界の生産で言えば、参加企業だけで国内の半数にもなろうかというくらい大手の社長クラスが揃って参加。更に、そのチキン業界がほんの一部であることを見せつけるように牛・豚業界の大手企業の会社も集まる、総勢105名参加の盛大なゴルフコンペでした。

 しかも名門、茨城ゴルフ倶楽部です。今日のグリーンは早いし、硬いし、バンカーの砂はサラサラで掴みどころなし。私のショットは引っ掛けから立ち直れず、またバンカーからの脱出に手こずりなんと合計16回叩きました。入ったのは4ホールだけなんですけどね。いよいよ困って直接当てたらグリーンの反対側のバンカーに行ったりして。次、うまく出たかと思ったら、下りのグリーンが早くてまた元のバンカーに戻ったりして。まさしく悪夢でした。

 手元の記録によると、3年前ここの西コースで私のスコアは94。2年前の東コースが91。で、今日が西コースで113点(笑)。うーん、今年は自信を持って優勝を狙いに来たのに‥。
 
 次年度再びお呼びがかかれば、 入念に準備してリベンジを果たしたいと思います。まあ、いまこれからゴルフで本気になれるのは、このコンペと思っておりますので。連休を潰して行くんだし、社長さん方が集まるところでいい所を見せたい!
 
(写真:前夜は横浜で同業者の経営者の皆さんと夕食)

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 昨日は「いわて武蔵野会ベンチマーキング」の第20回。3度目の湯田牛乳公社さん訪問でした。

 私は2度目の開催の時はパスしたので、2年ぶりに行ったことになりますね。 素晴らしく綺麗になっておりました。厳しく指摘しあうのが、この会のモットーだけど、そろそろ天井も見えてきたかな?

 なにげに感動したのが、この資料のペーパーの見せ方。右上に資料のナンバーを打って、最初から全部見えるようになっている。

 受け取る方がわかりやすいのはもちろんですが、これだと準備する側も「資料3が入ってない」だとか間違うことが無くなりますよね。これはパクりたいですね。
 
 いや「パクる」とか「真似る」と言うよりも、業界が業界だから「いいとこ鳥」と言おうかと、最近気がついた次第。

 当社は「いいとこ鳥経営」で行きます。

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 昨夜は農場関係のある納入業者さんが、提携関係にあるニュージーランド人の技術者を連れてやってきて、夜、食事会がありました。

 仕事関係の会話も一段落したところで、その技術者のM氏が「ハンカチありませんか?」と言うので私のを手渡すと、芸を始めるんですね。

 折り紙のようにあれやこれや細工をして、チキン業界のモチーフになるものを次々と作り上げ、ひとつのストーリーをプレゼンしてくれました。終わってその場にいた9人は拍手喝采。

 こういうのはなかなか国内にいてはお目にかかれませんよね。 そういえば、今年1月シンガポールに行った時のジョーク満載で笑わせてくれたインド系の学者さんのプレゼンを思い出しました。

  「プレゼンには必ずジョークを入れること」を社内ルールにしたらどうかな?

 一番困るのは私かもしれないけど(笑)。

(写真:メイプルカントリークラブのランチメニュー「菜彩鶏のバジルソテー」)

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 東日本大震災の発生した3月11日から半年が過ぎました。当社は、鶏の餓死、雛の餌付け停止による淘汰、痩せた鶏を処理、B級品の発生多数、売上機会の喪失、人件費の保障で大きな損失を発生させました。

 しかし、今考えると、決算間近の3月中旬に発生したことで、前期と今期の2期に負担が2分されたことで挽回しやすい環境になったと言えます。今期、市況はこの水準を維持してほしい!

 さて、震災後の菅政権の対応について。私の経営の師匠である小山昇さんの言う経営者のあるべき姿からすると、やっぱり日本国の経営者として合格点は付けられなかったような気がします。

 「正しい決断でなくていいから、スピーディーに決断する」→菅さんはほとんど何も決断しなかった。諮問委員会だとかに任せて、時間だけ食った。未曽有の非常事態だというのに。ちなみに、小山さんの言うところの「正しい決断でなくていいから」というのは、「早くその決断の結果を出して、間違っていたら修正すればいい」ということです。

 「方針を示すということ。それはやらないことを決めるということでもある」→インターネットが普及して、世界中の政治家が機能不全になっていて、やらないことを示すことが難しくなっているとは思うのですが、菅さんは国民投票なんかやったら過半数を取れるであろう原発をクローズする方向に決めて動こうとしたくらいでしょうか。

 そういえば「仮設住宅を7月いっぱいに完成させ避難所はゼロにする」という方針はあったわけですが、結果的に居心地が悪くて民間のアパートなどに移ってしまったことを考えると、原発周辺の住民に避難勧告をやったように、やっぱりある程度強制的にその土地を離れさせ、既存の設備を有効活用させるような政策が必要だったような気がします。非常に言いにくいことですが。

 野田総理は、自他ともに認める現実主義者だそうですが、菅さんにも確か同じ形容詞が新聞に書いてあったような気がします。2人の違いは「人の話を聞く」か否かにありそうです。期待しています。

(写真:フィリピンにて)

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 9.11から10年ですね。私はアメリカ穀倉地帯視察ツアーの帰途、成田に到着して新幹線で岩手に移動して、二戸まで戻れなかったので、盛岡市内のホテルにチェックインしてテレビをつけたら、あの特撮映画のようなシーンが‥。

 その前日、ラスベガスにいたんですけど、胸騒ぎがしたのか、料金に含まれているグランドキャニオンをセスナ機で飛ぶオプショナルツアーをキャンセルしたんだっけ。

 「テレビで見ているからいい」と言ったのだけど、やっぱりちょっと怖かった(笑)。いや私は万里の長城さえも同様の理由で休んでしまうほどだから、単なるへそ曲がりなのかもしれません。

 でもラスベガスに移動する時になんか変な感じだったと思う。そして帰りのラスベガスからロサンゼルスに移動する際に予定の便が何の理由もアナウンスされずに2時間待たされたことはよく覚えています。

 その時、IT好きな私は確かラスベガス空港内のインターネットカフェをじろじろ見た記憶が。その時、犯人グループがいたのかもしれませんね。

(写真:カフェインがダメな私でもたまーにコーラが飲みたくなります。コカコーラゼロフリーの存在を知ったのが2か月ほど前だったんだけど、どこにも売っていない。と思ったら、昨日近くのドラッグストアで3本298円で売ってました)

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 昨年の11月に予定していたゴルフコンペは、寒く風が強い日だったので延期になり、この春に実施する予定も震災でお流れに。そしてやっと今日開催できました。場所は岩手洋野ゴルフクラブです。

 待ったかいあって、25℃前後で曇りの絶好の天気。時期も時期だけに軒並みいいスコアが出そうな日だったのですが、グリーンが早くて皆さん大苦戦。ほろ苦い1日となりました。

 3年ぶりの社内コンペ開催なのですが、人数は残念ながら3年前より少なかったです。そういえば役員内でのゴルフ人口も減少傾向だし、社員でもベテランでゴルフをやる人が抜けて、若手でやる人が増えていないのかもしれません。

 ゴルフ場の料金は下がる一方ですし、もっとやったらいいのにと思うのですが、若手と話していると、なぜかバレーボール経験者がやたら多いんですよね。

 チームワーク重視で採用している副次効果がこの辺りに出ているのかもしれません。

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 テレビ番組でもやってましたけど、サブウェイ人気第3位は「チーズローストチキン」。そのチキンは菜彩鶏です。
 
 ほかにもサンドイッチでは「炭火てり焼きチキン」「タンドリーチキン」「ローストチキン」「ケイジャンチキン」とバラエティに富んでチキン比率が高いんですね。ということは隠れたナンバーワンかな?

 昨日よりサブウェイの伊藤社長が来県。そして本日は当社工場を案内させていただきました。「野菜のサブウェイ」を標榜するだけあって、産地重視の姿勢をひしひしと感じさせられました。そもそも大手外食企業の社長なんて来るのは初めてではないかな。

 世界では既に店舗数ナンバーワン。日本でも急激に店舗数拡大中。岩手にも間もなくできるとか。増えるので対応をお願いしますと頼まれました。嬉しい悲鳴です。

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 昨日から受けていた産廃の講習。事業に携わる経営者として必須の資格を、トータルで正味7時間ほど教科書とにらめっこしながら先生の話を聞きました。正直苦痛ですね。よくまあ学生時代はこんな日々を送っていたものと思います。

 最後に試験が控えていて、その出題のポイントを親切にも講義の時間中に教えてくれるので、居眠りできません(笑)。

 問題は27問で、○×式。70%の正答率で合格ですから、学生時代と違い全問正解でも70点でも何も変らないわけです。でも、しっかり覚えたはずが、ヤマが外れて設問の角度が違ったときは、悔しい思いが沸々と湧いてきます。

 久しぶりだからか、このスリルが楽しいですね。そして出来た人から終わりじまいで帰れるのもいいですね。

 後で合否通知が来るのですが、間違ったところを教えてくれるんだったかな? 目をつぶっても50%の正解率がある試験なんだから、70%の正解率の仕事ぶりだったら、その人、ちょっと心配(笑)。自分がそうだったりして!

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 産廃の資格更新のため仙台に来ています。初めて資格をとってからもう5年経つんですね。明日昼まで座学で、最後に試験を受けて開放されます。

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 今夜の予定を立てずに仙台入りしたのですが、そういえば楽天の試合を見に行くというのもいいかな、と思いたち、シーズンシートを契約していそうな仙台の飼料会社さんに当たってもらった結果、NM飼料さんから提供いただいて無事1累側席に収まりました。NM飼料さん、ありがとうございます!

 さて、前回来たのは6年前か。天気は過ごしやすく最高。ただ相手がオリックスか、華がないな‥、とちょっと心配。

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 試合が始まると、低迷する両チームだからか、もうなんか本当に見る価値無し!

 私が我慢できなくて帰ってしまった5回裏まで楽天はノーヒット。2回表に先発の井坂が打ち込まれて5失点してて、これじゃあ逆転まず無いでしょう。

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 ご親切にも派手な電光掲示板に楽天の打者の成績が出るので、一巡すると、うーん、こりゃあ間違いなく追いつかないと判断できてしまうんだよね。

 あまりプロ野球のことを追いかけていない私でも、今シーズンから飛ばないボールで打率が下がっていることは承知しているので、無理も無いのだが。

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 1塁側席でさえ楽天を応援する人が圧倒的で、こんなため息しか出ない試合でも面白い愚痴が聞こえてきて共感したし、あれやこれや楽しい仕組みがたくさんあってやっぱりこういう余暇があるのはいいなと思いました。

 ちなみに、小学校高学年に初めてプロ野球の試合を見たのが、この宮城球場(現:クリネックススタジアム)でしたね。寒い日のナイターだったんですが、田舎者にはものすごく眩しい照明と、観客席の角度の急さに驚いたものです。

 お土産に、選手が載った下敷きを貰った記憶があります。外国人のシピン、ボイヤー、エースの平松投手、4番の松原なんかが載ってた記憶があります。

  しかし、地元岩手では巨人戦しか放映にならないので、もちろん私は巨人ファン。大洋ホエールズなんて全然興味なかったんですよ。でもシピンがあろうことか巨人に移籍。しかも髭を剃って激イメチェン。結構応援したな〜。

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 さて、5回裏終わって帰途についたのですが、電車で帰るのも面白く無いので、歩いて西口のホテルまで帰ることにしました。そして歩き始めたらいきなり暗闇に「とり・からあげ専門店 鶏屋」という店を発見。 

 メニューが、「とりから」 400円、「とりから弁当」420円、「とり五目弁当」400円ですか。球場でピザを食べたのでお腹いっぱいだったけど、業界人としては食べてみたいので「とりから」を注文して、暗い歩道をいい事に歩きながら2個食べました。意外とあっさり味でしたね。

 店内の写真を見ると、デリバリーカーも用意しているようで本格的ですね。新しめの店のようですが、繁盛をお祈りしております。

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 いやー、これってもしかして、けっこうすごい格言を開発してしまったかな。ネットで探したけど、引っかからなかったので私のオリジナルになるかな。折角なのでちょっと大きめの文字で表示します。

 善悪を言う人、過去志向

 好き嫌いを言う人、現在志向

 損得を言う人、未来志向


  善悪を重視する人は過去にこだわりますよね。「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」という格言がありますが、まさしくその通り。悪は文字通り良くないことだけど、これを許さないと、そのあと生きにくいですよね。幸せにならない。都合よく過去を忘れる人のほうがハッピーですよね。

 好き嫌いをとにかくいう人は過去も未来も無い。今さえよければいい。愛情、愛着もそうで、時間がたつと飽きるし変わるし、人の感情は定まったものではありません。

 そして、損得を考える人は先のことを考えている人。損得というと日本人は計算高い嫌らしいイメージを持ちがちですが、ビジネスライクであることの価値は案外見捨てたものではないと思います。割り切って無駄が無くなるのですから。

 他の先進国に比べ非生産的だと言われる日本。その日本に、私オリジナルの格言を贈る!(笑)
 
(写真:今朝の本社玄関前のこの虫は何虫?→オオナナフシだそうです)

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 先日、二戸市立二戸歴史民俗資料館を訪問した際に、見つけた1枚のペーパー。そこには二戸、いや一戸から九戸までの地名の解説が書かれていて、私にとっては初めて聞いたことも書かれていました。ネットには出ていないようですので全文コピーして紹介します。

二戸の「戸」? 〜地名の由来〜

 二戸という地名は、昔の牧場制度の名残りである。このことについては諸説があるが一般的に言われていることは、次のようである。 

 その昔、この地方を糠部と呼んでいた頃、三戸南部の居城である三戸を中心に領内を東西南北の四つに分け、さらに南を一戸・二戸、西を四戸・五戸、北を六戸・七戸、東を八戸・九戸 と、三戸を中心にして九つに区別し、糠部九部四門と言った。これが地名のおこりである。

 戸は一家という意味ではなく、平安京の宅地の面積単位に「戸主」があることから、数戸の集まりで行政上の一単位であった。
 糠部の 九戸制は、平安末期までさかのぼり、鎌倉時代に南部氏が糠部に入部し、六人の子息をそれぞれ、一戸、三戸、四戸、七戸、八戸、九戸に配置し支配させている。二戸は鎌倉の御家人、畠山氏や佐々木氏が支配していったらしい。
 鎌倉時代の末期には、馬制も整えられ、一ケ戸毎に牧場が設けられ馬の放牧を盛んにした。その後、幾多の変遷があり、近年になってもこの名称が依然として続き、市町村や郡名に使用されている。

 わが二戸市の場合、その中心地は古くは「宮野」と呼ばれていたが、天正19年(1591)九戸の戦い後「福岡」と改められた。それが近年まで続き、昭和47年市制施行によって「二戸市」となり、平成18年1月1日浄法寺町と合併し、今日へと続いている。

 
何だか急に、友人の畠山◯くん、佐々木◯子ちゃんに後光が射した姿が目に浮かぶ‥。 

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 いまや20年の歴史を刻んだマツダのロードスター。初代が発売されたのは1989年9月1日でした。私は春にはディーラーに注文して、発売日にゲット!‥のはずでしたが、10日くらい待たされた記憶があります。

 それでも岩手では最初の納車なはずで、友人の彼女にそそのかされて盛岡の大通りをオープンで走ったりして大いに視線を集めたものです。

 ちなみにその当時、26歳の私の世代にピッタリだったらしく、大学の同級生が4人集まったら3人がロードスターオーナーだったということがありました。私はその直前イギリスに行っていて、ロータスエラン、MG、トライアンフといった優雅な小型のオープンカーにすっかり魅了されておりましたので、渡りに船だったのでした。

 さて、エンジンは1600ccのツインカム。しかし馬力はさほどではなく、私でもアクセルをガンガン踏んでオープンで山道を走ってとても楽しめた記憶があります。やっぱり運転の気持ちよさは絶対的な馬力とは違うところにありますね。

 菅生の走行会に出かけて行ってタイヤをすり減らして走ったことも何度か有りました。この時だけはストレートでスピードが出なくて非力さを実感したものです。ちなみに日帰りで、仙台まで往復6時間のドライブもこの車でしたものです。

 あまり外観とかいじるのが好きじゃないので、ほぼノーマルのままだったですね。14年で4万キロ走ったと記憶しております。あ、1つだけオプションがついていました。リアトランクの上に荷物を括り付けるベースです。九州に行ったときに活躍しましたね。

 3代目の現行NC型(1年だけ所有しました)はRX8とベースを共用しているようですが、来年デビューするとされる4代目はもっとコンパクトで軽量になると噂されていますね。今回のCX−5のデザインからするとデザインも期待できそう。楽しみです。

 せっかくなので理想を言っておきますか。ベンツのSLKのようにクローズ状態でもトップはグラスルーフに出来るといいですね。それからACC(アダプティブクルーズコントロール)付きで、しかも速度設定制限なし‥。そんなオープンカーを出してくれないかな。オープンカーだって、タマには楽して運転したいのです。というか、本気で走りたい人こそ、手を抜くときは徹底して手を抜いた運転がしたいのでは。いや、単純にスポーツカー好き=最先端のメカ好きなんだし。

 ま、現状で私の理想のスポーツカーに近いのがまさしくSLKです。これ結構興味あります。ACC付けてくれないかな‥。限りなく希望者が少ないオプションでしょうけど。

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 一昨日から宮崎入りしています。口蹄疫や鳥インフルエンザ、それが収まったら我がほうで東日本大震災が発生してずっと機会がなかったことで1年半ぶりです。

 毎年来る義務があるわけではないのですが、同業者仲間が多いので、やっとこれたという感じですね。ちなみに今回のメインは、昨年から延期されていた業界団体の「主産県会議」で、鹿児島、宮崎、岩手が持ちまわりで開催しております。

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 今回、空港を降り立つと赤い靴底消毒のマットがあちこちに。また今日泊まるホテルの玄関にも緑のマットがありました。

  どうしても気になるのは、このマットの湿り具合。やっぱり効果を求めるには、ある程度の湿り気が必要です。業界人としてはすっかり乾いてしまっていると落胆しますね。逆にしっかり湿っていると有難いなと思います。

 成田空港でもこういうマットがあるのですが、帰国するたびに湿り具合を確認します。それとの比較では、さすが宮崎、実際の切迫度が違ってか、成田空港より湿り具合が上のような印象です。

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